今日は観世音菩薩ご縁日・泥沼に咲く蓮華の如し

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昨日と今日は観世音菩薩(観自在菩薩とも云います)の縁日です。

世の多くの人から「観音さま」の呼び名で親しまれる宗派を超えて仏教を代表する仏です。

この娑婆(現世)で生きる我々の苦しみに応じて33もの姿(33とはアセンデットマスターを表す数字でもあり不思議です)に形を変え

憤怒の形相をした不動明王に姿を変える時もあれば、時には毘沙門天に、ある時は女性や子供にまで姿を変え、苦しむ衆生を救済するとされています。

私はよく、「観音さまは男性の仏なのでしょうか?女性の仏なのでしょうか?」と聞かれる事があります。

私はそんな時思わずほくそ笑んでしまったりで…

「男性でも女性でも自分が親しみやすければいいんですよ。」と答える様にしています。

『観音』と云うひとつの『神仏のエネルギー』に男性や女性の区別はないに違いありません。

私個人としては、観音さまには人知を超えた圧倒的な慈悲、慈愛、それは苦しむ人を抱きしめ育み解き放つ、神が持つ壮大な女性性とでも言うべき『愛』そのものを感じます。

お坊さんは勿論、癒しの活動をされている方、霊的な活動や勉強をされている方は観音の様に人間として悩み苦しむ人を救う菩薩の様になりたいと思ってらっしゃる方も多いと思います。

しかしながら人間として生きて行く上で家族や会社、人間関係、好きでもない仕事から収入を得ている自分が嫌になってみたり、対人関係で軋轢を経験してみたり

毎日を生きて行く中で様々な『葛藤』を経験します。

私もブログの記事でいろんな事を書きますが、心がいつもスッキリしている訳ではありません。

でも、だからこそ前を向いて歩けるのではないでしょうか?

私は今でこそ僧侶ヒーラーとして癒しの活動に携わっていますが、以前は長い間極道社会で生きてきた人間です。

でもだからこそ、私なりの独自のバージョンでの御役目がある事に気づく事が出来たのです。

「蓮華の汚泥に染せざるが如し」という私達密教行者が、修業の過程で学ぶ言葉があります。

私はこの言葉が大好きです。

例え泥沼にあっても見事に咲き誇る蓮華の花

その様に生きて行きたいと思います。

合掌

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