昨日は日中、大宮氷川神社を参拝した後、埼玉県北部にある母の実家を訪ねました。
目眩がするくらい久しぶりに訪れたものですが(笑)子供の頃などおふくろに連れられ夏休みなどに来ると、豚舎独特の刺激臭と田畑からくる土の香りや藁を焼く匂い、そこに蚊取り線香が入り混じった様な匂いがしたものです。
夏休みともなれば、祖父や祖母、叔父や叔母、たくさんの従兄弟が集まり賑やかで楽しかったものですが、そんなこの母の生家も、今では農業を辞め豚舎も廃し、おばさん(長男の嫁)と次女で従姉妹のさっちゃんの二人きりで住んでおり、玄関先からこの家の長い廊下を見ていると、縁側に座る雄弁だったおばあちゃんの姿やいとこ達の走り回る声が今では白くニスの落ちた廊下に思い出される様で何か寂しい気がしたものです。
写真には写っておりませんが、従姉妹のさっちゃんとも40年ぶりくらいのご対面となったもので、
「さっちゃん、いつの間にかお互い、おじさんとおばさんになっちゃったね」と私が言うと…
「おじさんとおばさん、ほんとそうですよね」としみじみと言うさっちゃんと大笑いしたものですが、従姉妹の頭には白髪なども見られるものの、やはり子供の頃の面影はあるもので、話をしている内に子供の頃、意地悪を言って泣かせてしまった事なども懐かしく思い出したものです。
中学からグレ始め、卒業後は右翼から極道の世界へと没入して行った私などは全く親戚一同、いとこ達との交流など無く、長い年月が過ぎて行くばかりでしたが、それでも、ときおり妹が親類縁者の近況などを教えてくれたものです。
祖父、祖母の順で亡くなり、母の兄で実家の主だった叔父も事故で急死、別の従姉妹の母親もやはり急死、兄弟の中には家族で難病がプログラミングされる様に発症したり、カルト教団への入信騒動などもあったり、海外勤務の男性と結婚し長い間海外で暮らす従姉妹もいたりと、いとこ達の諸行無常と言うものがあります。
でも、この家に降りかかるそんな人生の大波小波にも毅然と向き合ってきたのがこの写真に写る叔母でした。私の死んだオヤジなどは酒グセが悪く、下戸の家系でもある母親の親戚一同からは半ば疎まれていたものでしたが、酔う父にからまれては叶わないとばかりに母の実家を訪れる父に型通りの挨拶が済んだ後は、水が引く様に父の周りからは人がいなくなったものでした。
ヘソを曲げれば酒を飲んで酔っぱらっていても、突如帰ると言い出す父であり(当時は飲酒運転も普通に行われていた時代)でも、この叔母だけは、そんなオヤジの良き話し相手としていつも側から離れる事なくお酌などもしてくれていたもので、実際死んだオヤジなども「姉さん、姉さん」とこの叔母が側にいると機嫌を良くしていたもので、子供ながらに安心していたものです。
「正ちゃんが子供の頃、二階の壁にいたずらして指で開けた穴は今でもそのまま取ってあるんだかんね」と埼玉北部の訛りで言う叔母も82才、それを聞く私もいつの間にか睫毛に憩う人の姿や情景をたくさん持ち合わせる年齢になっていた様です。
子供の頃に訪れた名残そのままの仏間でお仏壇に手を合わせると「よく来たね正ちゃん」と祖母の声が内に響く様に聞こえ、背中から胸にかけてのハートチャクラが言い様もなく暖かくなったものです。
帰り際には叔母が自家栽培する畑よりたくさんの野菜を取ってきて私に持たせてくれました。
子供の頃、この家の裏手には地平線が見えるかの様な田園風景が広がっていたもので、天気の良い日は浅間山や日光連山が見えるこの場所が好きでしたがそれは今も変わる事が無い様です。
ありがとう
ありがとう
日日是好日