北野武の『不良』を読んで

この本は北野武の半ば自叙伝的な部分もあるのではないかと思います。もちろん、北野武は元より芸人でヤクザでは無いのですが、東京足立区で生まれ育っており、この物語の舞台も足立、主人公の高野茂にたけしの目線を感じさせるものがあります。
きーちゃん他、登場人物の面々など、中学時代の悪ガキからそのまま繰り上がる様に極道の世界に身を投じた果ての儚い顛末が描かれており、北野監督のアウトレイジなど暴力路線とも思える映画に共通する話しの筋も見て取れるもので、この本を読むと自身の少年期からの友人の姿が、後の映画のキャストに投影されたものがある事などが窺える様な気がしたものです。
ちょうど東京オリンピック前年位に主人公が中学生となる、私などよりはずっと上の世代の時代背景のこの物語、上野、浅草、北千住、南千住や三河島など、懐かしくも今も身近な下町の裏寂れた匂いとやんちゃな少年達が組織暴力の世界でカタに嵌められ破滅に向かうそれが交錯する様で、まだ不良少年の世界も暴走族などいない時代、単純に喧嘩の強い人間が中学の番長として収まり不良の序列そのままに喫茶店にたむろしタバコを吸い、珈琲や酒を飲み、恐喝をかまし、パチンコ屋に入り浸る姿など、今時の誰がワルか分かりづらい若者などを見慣れている方などからすれば、遠い昔の硬派番長列伝を読んでいるかの様なその物語の出だしかも知れません(笑)
剥き出しな暴力の突出、入れ替わる力関係など、そこに鬱屈した若者らしい衝動や純情多感な想いまでがクロスする様など、私などを振り返っても、やはり暴力を選び取ったのは中学の時で、暴走族の兄がいたりで、上手に先輩の間を立ち回り表番を気取る人間が気に入らぬ事からケンカを売っても乗ってこず、私とすれば殴り合いをして決着をつけたいところを逃げられ未消化なものが残ったもので、
これは後に二十代前半の頃、飲んだ席でちょっとした言葉の行き違いからこの人間の頭をビールジョッキで叩き割ると言う結末へそれは発揮されたのであり、血の噴き出る頭を抱えうずくまるこの人間にヤクザ式の捨てゼリフを叩きつけても、自分が一回りも二回りも小さくなった様な気がしたもので、今振り返ればこの人間には申し訳ない歪んだ解消の仕方をしたものでしたが、暴力と後悔を繰り返すのもヤクザと言うものであり、でも、この後の方がこの人間も私に心を開いて話しをする様になったものです。
夕陽の沈む荒川の河川敷を自転車に乗るやんちゃな一団もやがて極道の世界に足を踏み入れ、越えてはならぬ一線を次々と越えて後戻りが出来なくなって行く事に必然であり、一家や団体名など仮称ではあっても、それが、今も現存するその地区を縄張りとする組織である事など元極道の私などからすれぱ一目瞭然であり、シャブよれ(覚醒剤中毒)しポン中と化してヤクザの世界からも落伍して行く人間、様々にも繰り広げられる組織間の攻防に巻き込まれ、時に破天荒な姿に少年時代の純粋な姿を取り戻すかの様ではあっても、滅びに向けて一直線なその様…
物語の最後の方、行き場の無くなった主人公の高野や同じ組の組員でもある同級生がトラックに乗り日本刀や拳銃で武装して敵対する組織へトラックで突っ込みカチコミをかけるものですが、拳銃を射ちまくり日本刀を振り回す中をトラックのつけっぱなしのラジオからは伊藤咲子と言う昭和の歌手の歌声が流れている場面など、
白い夏のひざしをあびて、なんて歌ってくれるなよ。こっちは日陰者なんだ。
涙なんか知らない。そりゃそうだ。いつでもほほえみをってか?笑えるな。
きっと枯れてしまうのでしょう。そんなひまわりの花。いい声で歌うんじゃねえ、こんな時に!
と、修羅場にあっても勝手に流れてくる歌に反応する主人公のシニカルな心情が、実る事の無い、安住を得られないヤクザと言う生き方への咆哮の様でもあり、たけし一流のコミカルにも叙情的な描写で、やはり修羅場の音楽の記憶などもある私には何とももの悲しい件(くだり)に思えたものです。
この物語の最後、主人公はヤクザを辞め堅気になるものの『カタギなのに騙したり、脅したりの商売以外に能がなく、』と述懐する場面などもありますが、これなども実際、ヤクザから堅気になってもなかなか抜け出る事の出来ない心の垢から生じるループを現しているもので…
中学時代の番長で主人公高野の兄貴分のキーちゃんなども覚醒剤中毒で精神科を退院するも、最後は千住新橋から荒川放水路に飛び込む様なども描かれており『あたえられた天性の才能を何も活かせず、ただの不良で死んじまった』と言う結びの言葉を取って返す様に、紆余曲折はあっても、人様の心のお手当ての現場に立つ事の出来ている我が身の幸せを噛み締める様な想いのした愚僧であります。
                 合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

 

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