※画像は内海医師の投稿からのシェアです。
今日も東京ではコロナ感染者数が過去最多と言われる243名と報道され、ギクリとした人も多いのかも知れません。
こんな時、自分自身がマスクを着用し表を歩いていたとしたならば、駅やその他の場所でマスクを着けていない人を見た時に内心、
『困った人だ…』
『周囲への配慮がなされていない』
『ソーシャルディスタンスを何と心得るか💢』
『こういう馬鹿がコロナを拡散しているに違いない』などなど…
ほのかなジャッジと、自分自身はとりあえずの要因を満たしているかの様な安堵と優越感と言うものさえ発生させやすいもので、マスク神話など何もないのに『エチケット』『周囲への気遣い』などの建前で不承不承、マスクを着けている人が多い事は言うまでもありません。
(咳の出る方など着用が適切な方も当然あります)
マスクがコロナに有効かどうかも知りもせず、マスメディアを通して為される報道を鵜呑みにしてしまう事に於いて私達は洗脳されているに等しいものがある事。また、マスクを着けていない人に対する白眼視や苛立ちと言うものもそこに付随するもので、こうした事まで事前に折り込み済みの大衆操作の歴史と言うものも、ことあるごとに利用され、繰り返されてきた人の世でもある様です。
果たしてマスクを着けていないからエチケット違反なのでしょうか?周囲への配慮に欠ける行為なのでしょうか?
ただでさえ呼吸を浅いものにするマスク、梅雨時の今や猛暑のこれから雑菌や真菌の温床の場にさえなりやすいマスクの内側の環境と言うものであり、肺や気管支などの呼吸器を痛め付ける働きさえある他、熱中症に拍車をかけ、私のところの近所にお住まいの方などもマスクをして話をしているだけで心拍が上がり呼吸が苦しくなると言う方が何人もいらっしゃいます。その他にもマスクの繊維から生じるアレルギー性皮膚炎の発症など、
こうした諸々が身体の免疫機能を低下させる事は容易に推察されるものであり、自分自身が感染していた場合なども、コロナウイルスをマスクの内側で益々純粋培養する様な話しで、無為にやり過ごせるところをわざわざ発症させるケースなども可能性として考えられる様です。
真に自分の身体をいたわる事も出来ず、それが『エチケット』に成り得るのでしょうか?
命の源の呼吸を阻害し、免疫を下げ、肺や呼吸器を劣化させ、かえってコロナに罹患発症しやすい下地を作る事が『他者への気遣い』と言えるものなのでしょうか?
マスクを着用する人の胸中と言うもの…予防やエチケットとは建前で本当のところはただの一匹もコロナウイルスを自分の身体に入れたくないと言うのが誰しもの本音と言うものかも知れません。でも、コロナウイルスがマスクの繊維を素通りする事や少しの隙間からでも入り込んでくる事に於いてフェイスシールドなども同様であり、いざ、その局面となれば誰しも呼吸から吸引したりで、防ぐ事など出来ない様です。
でも、これは風邪やインフルエンザなどと同様で、菌やウイルスが10入っても、100入っても、1000入っても、発症させなければ問題ない事であり、心身の調和を崩す事なく免疫を上げる生活(入浴、基礎体温を下げない)や食事を心掛け、コロナを深刻なものと見ないと言う事が大切な様です。
そうした意味に於いては人間の怖れが視聴率につながる事からコロナの感染拡大を煽りまくるTVの報道などは自らシャットアウトする事も必要かも知れません。
(必要な情報は動画などで自分で取捨選択する時代ですが、コロナや中国関連、闇権力の核心を突いた情報系の動画など突然削除されるなど、あからさまな権力側の介入が見られる事間々あり)
建物や橋をネオンで赤くしたり、コロナを盾に自己顕示欲を満たさんとばかりにコロナを怖れのシンボルとして利用するお偉い様の姿などを見ていると、いつの時代も低次の大きい声が罷り通るものがある事を感じるばかりで、目隠しされ幻惑される事に於いて一方通行な我々一般大衆が、醒めて生きると言うのは容易ならざるものがありますが、そんな今だからこそ心眼を開いて生きる事が試されている様な気がします。
『何かさ、物は揃ってるし、ゲートル巻いた兵隊さんが歩いているわけじゃないんだけど、今の時代戦争の直前に似ていると思う。だって、コロナの事でも戦時中の大本営発表みたいで気味悪くてね』とは、戦前、戦中、戦後を生き抜いた近所のお年寄りの談です。
合掌