※ヒーリング時の動画など了承を得て掲載しています。
昨日は関西からお越しのお客様へ、トータルセッションを行いました。
(スピリチュアルカウンセリング60分+ヒーリング30分 全90分 )
※通常トータルセッションはリーディング、ヒーリング合わせて60分のセッションですが、今回の様にどちらかに追加30分のセッションなどもご希望により承っております。
この方は私が仏門入りした時のかつての師僧よりお加持(加持祈祷)を受けた事もある方で、セッション終了後色んな事に話が及んだものです。
私の旧師僧とでも言うべきその方は、かつて「西の〇〇か、東の〇〇か」と、現在も真言宗の大阿闍梨と名を馳せる方と並んで称される程、加持祈祷の法力抜群と呼び名の高かった人物で、末期癌も治してしまう密教僧として何冊もの本を出版し、光輪求(ヒーリング)の概念も斬新に、新な密教僧の形を打ち出した方でもありました。
でも、私は会った当初より、「修羅の行ご苦労様でした」と私が極道の世界にかつていた事にさえおおらかに、気取らぬ人柄に惹かれるものは感じながらも…この方に「覚醒されていない何か」を嗅ぎとるかの様な思いがしていたものです。
でもそれは程なくしてすぐ分かる事となりました。この方は加持祈祷を受けに訪れた女性や、この方の病さえ癒すと言う評判を聞きつけてきた女性などにかたっぱしから得度を勧め、時には「住職にしてあげるから」と甘言まで囁き、信心を勧めるだけならまだしも、挙げ句の果ては性的な関係まで求める様な事を繰り返していた様で、実際、私で16番目の弟子でしたが、私の前には女性のお弟子さんなどもたくさんいたもので、でもその方達もこの方とトラブルになり、結局全て離反し離れて行ってしまったのです。
何をどうとは書きませんが、この方は私の周囲にもその「エロのエネルギー」を向けてきたもので、それを聞いた時は、得度から四度加行を終え、密教僧の免許皆伝とでも言うべき伝法灌頂を終えたばかりの私でもありましたが、まだ直情径行な荒ぶる気性も残っていた当時であり、師僧と断絶し一門から放逐されるも良し、その時は私度僧としてヒーラーとして、自分のすべき事をして行けば良いと瞬時に腹も決め、この方に電話を入れ事実を糺したものでした。
すると、案の定シラを切るこの方に、私も少しばかり極道当時のエネルギーを引っ張ってくるかの様に(笑)「センセだの大阿闍梨だの呼ばれてあんたすっかり物事の道理を履き違えているんじゃないのか?そうした人間としてのロハ(いろは・道理・基本)を教えてもらってきてないからそう言う事になるんじゃ、違いますか?極道の親分だってな、あんたのやる様な事はしないぜ、おい、聞いとんかい!電話で話が分からんのなら今からお堂へ行ってビッチリ話しをさせてもらうけどなセンセよ!」と普段この方を「先生」と呼ぶ弟子の分をわきまえた物言いもどこへやら、ケツをまくってしまったもので、電話口の向こうでこの方は「すいませんでした」と弟子の私に事実を認め謝ったものです。
この方は真言宗の経典でもある「理趣経」に於いて弘法大師空海も性的な高揚、喜びを是認していると、自らの制御出来ない下半身のだらしなさを重ね正当化する様な事さえ常々言っていたもので、エゴと言うものは逸脱する事にさえ、巧みに正当化、肯定するかの様な理屈を後付けで用意さえするものです。
私がこの方に引導を渡したつもりはありませんが、実質私と縁切りとなった後、益々混迷を深めて行った様で、かつての加持祈祷の験力もどこへやら、最後は気に入らぬ人間に呪詛調伏の念を向ける様なつまらぬ行者になってしまい、天からその力を奪われるかの様に痴呆を発症し、最後はお加持(加持祈祷)をしても誰にしているのか分からない状態にまでなってしまった様です。
この方と疎遠となってより、何年もの時が過ぎた頃、人づてに「元ヤクザの組長で俺のところで得度した凄い奴がいるんだ」と暗に私の事をこの方が褒め称えている事などを聞くに及んで、70代、老齢のこの方が健康でしっかりしている内にせめて仏門入りの機縁を作ってくださった事に感謝の言葉を伝えたい想いにも駆られ…
弟子のほぼ全てより離反され、孤独を深めるこの方に、そのお加持をしている姿ただそれだけに惚れ込み尽くすかの様に徒弟として残っていた先輩に、この方の近況を聞くと…
痴呆を発症し、弟子の識別もつかなくなっている状態の事や、その後間もなくして本山からも僧籍剥奪の上お寺の世界から放逐され、三重、静岡にあったこの方のお寺や道場も閉鎖、親戚に身柄を引き取られた様で、弟子はもとより外部の人間一切との連絡を親戚の方が遮断するなど、生きているのか死んでいるのかさえも分からない状態となってしまいました。
諸行無常の響きあり…
法力抜群と言われ、たくさんの弟子や信者に囲まれマスメディアにも取り上げられたこの方の顛末と言うものを見る時、それは私が過去に生きた世界、どこかしらヤクザの末路を見る様でもあり、この世界を貫くエゴの因果律と言うものは、極道であろうが僧侶であろうが見てくれのそれに関係なく作用している事、かつての師僧の姿に見せられている様な思いがしたものです。
※現在この方に生体エネルギーを感じる事は出来ず、たとえ肉体レベルでは生存していても霊体は旅立ってしまっているものを感じます。
昨日お越し頂いたお客様もこの方より性的な侵害を執拗に向けられ、それを相手に恥をかかせてはいけないと気遣いながらでもいなして断ると、今度は脅された事などを、笑い話しに転化して話してくださるのでしたが、この方はかつての師僧と会った第一印象より、著書の内容の高尚さとは全く違うものを感じ、嫌悪感が生じた事や、受けた加持祈祷が何でもなかった事などを話していたものでした。
人の第一印象と言うものはあますところなくその人物の真にあるものを伝えてくる時があるものです。
現在この方は、昨日のヒーリングセッションと共に、ご子息と共に私より遠隔加持をお受けになられまだ間もないのですが、驕るつもりはありませんが、加持祈祷、ヒーリング共に感じるものがあった様で、ご感想など届き次第ご紹介したいと思います。
「一つを通せば二つを通すも一緒」とは極道当時からよく言っていた言葉でした。エゴは恐れや心の渇きを生じさせる為に、それを埋めるかの様にさらに同質の事を生け贄の様に引き寄せて行くものであります。
私はスピリチュアルな世界に入ってより、色々と性に寛容で自由をアピールする方などの文章を拝見していると、中にはとても良い観点からの文章もお見受け出来る時があります。
でも、天の邪鬼な私の性分もあるのでしょうが…(笑)
「ねえねえ、俺(アタシ)間違ってないよね、惹かれ合えばやっちゃえばいいんだよね?ソウルメイトかも知れないしさ、肉体の喜びだって大事なんだからスピリチュアルの上でもそうだよね?みんなそうだよね?」と…
自らの性的な奔放さや不倫で生じる罪悪感などに読者より共感を示してもらい解消したいばかりのものをその文章に見てとれる時があります。
「正仙さん、セックスやまぐあいの大切さをアピールしている女性って、夫婦とか恋人とかの大切な関係に触れている様だけど、自分が枯れて行く恐れも、その文章に貼り付けている様な気がする時もありますよね。性的に満たされ潤って素敵に生きてます!って感じで自分をアピールしている自撮りの写真だって、年々身体の線が変わってシワだって増えて行くのに、セックスや身体の快適さだけに求めたって出口ありせんよね」とはさるスピリチュアルな女性の言葉、辛辣な意見ではあります。
明日から良い週末をお過ごしください。
合掌