今日の浅田真央選手の引退の報に触れて「やはりな…」と言う思いがありました。
ソチオリンピック以後、休養を明けて選手続行の目標としていた平昌オリンピックの女子フィギュアの出場枠が2となり、出場が絶望的と言われる中で自身の中で迫られた決断もあったのではないでしょうか…?
人の死ばかりでなく、こうした一つの時代を彩った人の起承転結を目にして行く事も、時代の変遷を感じさせ、歳を重ねる事に質感をもたらしている事なのかも知れません。
私はこのフェイスブックやアメブロで何度か真央ちゃんの記事を投稿していますが、私がアメブロを始めたのが2010年の2月で、ちょうどその頃と言うのはバンクーバーオリンピックで真央ちゃんがキム・ヨナとメダルをかけて競いあっている頃で、現に私がアメブロに記事を初めて投稿した「密教僧侶ヒーラーとして生きる」の次の記事のタイトルは「浅田真央とキムヨナ素晴らしき二人」だったりもします(笑)
真央ちゃんを初めてTVで見たのはこのバンクーバーよりさらに5、6年前でニュースでフィギュアスケート界に「天才少女現る」の様なタイトルで、スケートリンクで真央ちゃんが滑る姿が紹介されていたのを見たのが初めてだったと思いますが…
「人形みたいな子供がやけにぴょんぴょん跳ねて飛ぶな」程度の感想だったもので、この頃は私も裏社会の住人、野球やサッカーなど球を追うスポーツは実入り(野球賭博など)となる事から目を皿にして見ていても、嗜好と言う事であれば骨肉軋む様な倒すか倒されるかのK1やPRIDEなどの総合格闘技が好きだったもので、私自身もシェイプアップを兼ねてボクシングジムに通ったりもしていたものです。
この頃は現役の極道ではなかったものの、ヤミ金の用心棒から何でもござれでヤクザの看板が無いだけで、アウトレイジな世界を生きていた事に変わりなく、その後、私を慕う人間が覚醒剤の発作で死んだり獄死したりその他にも裏社会のハードな諸行無常を見せられ、僧侶、ヒーラーへとスピリチュアルな道に背中を押されて行った事は今まで講演で話したり、記事に書いてきた通りでもあります。
そしてブログを書き始める直前と言うのはある面、私自身フリーズしていた時期でもありました。
お年寄りへの無料のヒーリングなども始めたものの、裏稼業と縁を断った私に実入りなどあろうはずもなく、時計を質屋に入れたり、ブランドものの洋服を売り払ったりして食い繋いだり(笑)
くる日もくる日も二千円とか三千円のお金をポッケに山手線に乗り、循環する都内の風景を車窓から見ていたもので…
「僧侶だヒーラーだなんて言ったところでいったい何処へいっちまうんだろ俺は?」と自問自答する様な日々を送っていたものです。そんな時、車窓から見えるネオンが裏社会に棲んでいた頃を懐かしく思い出させなかったと言えば嘘になります。
でも、そんな時期、ある方が私にアメブロを書くことを勧めてくれたものです。そればかりか、有名な霊能者までを招いて少人数ではあっても、講演料が発生する私の講演を開催してくれたのでした。その方は私に「まだ人を威圧する様な雰囲気はあるけれども、それも人と関わって行く事で解消されて行くから大丈夫です。勇気を持ってアメブロを始めたら良いと思います。書かなければ誰も正仙さんの事は分からないのだから…」と言ってくれたものです。
それでも私はアメブロを書くことを躊躇していたのです。何故かと言えばそれは自分を晒す事でもあり、極道の世界を捨てたつもりではいても警察の取り調べは黙秘、否認を若い内より叩き込まれている上に、裏の世界に生きた体験などを文章にする事など、しゃべらない、仲間を売らないなど、沈黙の掟の世界に長い間生きてきた私にとって、隠れキリシタンが踏み絵を踏まされるに等しい感覚、それと同時に人の目に触れる文章を書くと言うのは、裏社会に生きた私にとっては、自分の居場所を知らせるに等しい、報復される恐れに直結しているものもあったのです。
そんな時、テレビをつけて見たのが真央ちゃんの姿でした。
銀盤で渾身の跳躍トリプルアクセルに挑むその姿、フィギュアスケートは精神性を問う競技ではないかも知れませんが、自分を一身に表現しようとする氷上のアスリートの姿、年齢にすれば私の子供でもおかしくない浅田真央の自分を乗り越え様とする真摯なその姿に私は魅入られ、そしてちょっぴり自分を恥じたものです。
「いつになったらそれを始めるのか?本当の堅気としてヒーラーとしての活動を始めるのか?」と…
いつまでも過去にいた世界の掟や縛りに思いを向けて、踏み出せないでいる自分を照らしてくれた様な気さえしたものです。
いつの間にか骨肉軋むファイトよりも自己を表現する美しさに目を向けられている私自身のエネルギーシフトもそこには影響していたのかも知れません。
それからは真央ちゃんの一ファンとして競技に出る姿をTVで応援してきたものですが、それも終わりがきた様です。
いつかは何者かにとって代わられてしまう事…
勝負を伴う世界はいつも非情です。そうした事から「惜しまれる内に引退する」と言うのがスポーツの世界ばかりでなく、どんな世界の身の引き際の所作としても言われてきた事でもあります。そう言う意味では、荒川静香やキム・ヨナなどは自己の演出までをプロデュースする見事なシフトなのかも知れません。
でも、それも人生の僅かな時期の処世の術に過ぎず、何が後に宝となり至福の源となるのかは神のみぞ知るところ…
波瀾万丈組の私などは(笑)上から下まで眺めてきた真央ちゃんのアスリートとしての経験は本当に人として贅沢だとさえ思ってしまいます。
2011年の東日本大震災に於ける被災地の子供などへの積極的なアイスリンクでのチャリティー活動なども真央ちゃんの知られざる一面でした。
どれだけの少年少女がテレビに映る浅田真央を真似る様に手をあげ足をあげ、フィギュアスケートの選手になる夢を誓ったのでしょうか…?
またどれだけのオッサンやオバサンが銀盤に立つその姿に癒されたのでしょうか…?
三拍子揃ったフィギュアスケートの天才少女と言われるロシアのメドベージェワもソチで金メダルを取ったソトニコワも浅田真央を尊敬しその影響を受けている事を公言して憚らない様です。
銀盤に立つだけで会場の観客の全てを引き付けるかの様なあの姿、やはりジュニアの頃からの永遠のライバル、キム・ヨナが現役だったソチまでが真央ちゃんの華だったのかも知れません。
もう…あの観音顔を銀盤で見る事が出来ないのは残念ですが、浅田選手とキム・ヨナとの名勝負や数々の名演技を思い出として、まだ若い真央ちゃんの女性としての幸せを祈念しつつ真央通信を絶筆したいと思います。
真央ちゃん長い間本当にありがとう!
合掌
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