☆スピリチュアルで言われる『あるがままの自分」…でも、恐れ付きであるがままたり得るのか?

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今日は個人様を対象とした地に足を着け、心身を安定させる為の技法グラウンディングセミナーでした。

スピリチュアルな世界ではよく、「あるがままでいい」とか「今この瞬間に生きる」と言うワードが好んで用いられたりします。

ある時、お客様が私に「正仙さん、私今までスピリチュアルカウンセラーとかヒーラーさんとかにずいぶん見てもらいましたけど、あるがままでいいとか、今この瞬間に注意を向けて生きてとか、色んな事言われましたけど、そう言われれば、今のとっちらかった自分を認めてくれている様でつかの間ホッともしますけど、『強い怖れがあって、あるがままでいられない』から、『過去や未来に対する不安や恐れがあって今を生きられない』からセッションを受けに行っているのに、恐れもあなたの内だから忌み嫌うんじゃないよ、なんて言われる事もあって、じゃあ先生、アンタ代わってよって、口から出そうになりましたからね、アタシ…自分達はお金をかけて何かの資格を取って、何らかの方法を使って安心出来ているから高みに立って、あるがままでいいなんて言えるのかも知れないけど、それって、結局また怖くなったら私のところにおいでと、アンタじゃ答えは出せないんだからって、人として馬鹿にしていると思うんですけど、どう思いますか?もちろん、スピリチュアルな世界の人だって神様ではないのだから、全ての答えを与えて貰おうとは思っていません。でも、人に依存するのはイケナイなんて言いながら、自分に依存させるのは『特別枠』の先生方なんて、山盛りでいますよ正仙さん、恐れ付きであるがままも今この瞬間を生きるもないもんだと思いますけど、私の言ってる事間違いでしょうか?」と…
ヒーラーでもある私には言いづらいであろう事をストレートにぶつけてきたものです。

だいぶ皮肉な意見とも言えますが(笑)でも、私はこれを聞いて、正直、よく見ているなと感心したものです。最近はスピリチュアルも自己啓発の世界なども、全てを良しとする様な肯定系のものに人気が集まる様です。

『人間なんだから、怒りがあって当然、無理に我慢する必要なんか無い』とか『誰しも先天的に恐れはあるものだからネガティブにとらえる必要は無い』と言った論調のものまで、至極ごもっともな事を言っているかの様ではあります。でも、人によっては、恐れやトラウマなどの画像(チャクラや深層意識に刻まれた体験等)からくる無軌道に発展しかねない怒りや暴力のパターンを、こうしたスピリチュアルな世界の住人の発する言葉でお墨付きを得た様に勘違いする人間もいないとも限らないのです。

感情の生き物と言われる人間、肉体の保存本能とも言うべき死への恐れがある事は、誰しにも共通の事であり、ここに様々な恐れが派生しているとも言え、それが色んな人間ドラマを生み出しているとも言えます。カウンセラーでも、ヒーラーでも、セラピストでも、取り合えず目の前にいるクライアントが強い恐れを訴えてきた場合など、安心させる意味でも、『あるがままでいいんですよ』『恐れは誰にもあるもんですよ』と、現在のその方を肯定し認めてあげる事は大切な事かも知れません。

でも…それだけでは何ら解決に至りません。勿論、セッションやカウンセリングの場などで、その方の問題を解決してしまうと言うのも傲慢に過ぎた考えと言えるのかも知れません。でも、生きる上での何らかの指針を得たいから、恐れや不遇の状態から脱け出す為のヒントを得たいからこそ、そうした場を訪れているのであり、全て答えを与えるセッションの形態はどうかと思いますが、怒りの原因、恐れの原因の源を本人が腑に落ちる形で、気付いて頂ける様なセッションはとても大切な事だと思っています。

時には恐れや怒り付きでは、あるがままの自分から遠ざかってしまう事や今この瞬間にフォーカス出来ない事を、その方のわかる言葉で、しっかり伝える事が大切ではないかと思う愚僧であります。

合掌

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