※写真は文章とは関係ありません。
イスラム国による暴力による恐怖政治の実態が世界のメディアによって、明らかにされ始めています。
同性愛者を見せしめの為、高いビルから突き落とす映像や、まだ幼い子供に拳銃を握らせ、膝まずく捕虜を処刑させ、その直後にガッツポーズの様に無邪気に拳を振り上げる子供の姿と言うもの…
どれほどの狂気がこの子供に刻印されたのかと思わずにはいられない画像でもありました。
私はこの子供の映像を見たときに、数年前に、「シティオブゴット」と言うブラジルに実在した犯罪組織を描いた映画を思い出しました。
その映画では、スラム街に生きるまだ小学生ほどの子供が銃を握り、チビッコギャングと言えば聞こえはどこか愛嬌めいた可愛いものがありますが、そんな言葉とはほど遠い、極悪非道の限り…強盗に殺人、麻薬の売買から略奪の限りを尽くし、警察さえも一目置く力を持つものの、リーダーとなる少年が青年となった時、過去には、裏切る様に、大人を殺してはいあがってきた様に、自らも最期には手下の子供達に裏切られ、無数の弾丸を撃ち込まれ屍と化す姿と、この捕虜を撃ち殺し、拳を振り上げたイスラム国の少年の姿を思わず重ね合わさずにはいられなかった愚僧であります。
下記の引用に特別の愛、特別の憎悪と言う言葉が出てきますが、テロ組織なども同様に、殺戮を正当化する上で、「選ばれし特別の者」と言う様な信念の徹底は必然であり、あらゆる理不尽な行為を免罪符とする、それらの概念や、それを支える教義、掟が新設されるのは、人間の集団や組織、コミュニティがある方向に向けられる時、必然的に発生する事において、いつの時代も変わらないものがあります。
でも、最期はそのエゴのシステムに焼き付くされてしまう事に於いても変わらないものがある事、ナチスドイツに見るヒトラーの顛末にわかりやすいものがあるのかも知れません。
以下、「神の使者」
ゲイリー・R・レナード著より引用です。
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【アセンデッドマスター】
あなたが見ているこの宇宙は、あなたが自分を神から引き離したという考えの、さまざまなかたちで提示されるシンボルだってことは、もう説明したわね。
そしてあなたはその分離を密かに恐れ、とんでもない罪悪感を持っている。
この身体の世界という新しいレベルでは、分離という考えがあなたの外側に投影されているように見える。
こうして罪の代用品、投影された罪悪感のもと、あらゆる種類の恐怖の想像上の原因が、あなたの外側に見出だされるようになったわけ…もちろんほかの人たちも同じように、すべてを自分の外側に見ているんです。
それが理解できれば、分離の行動化と無意識の罪悪感の投影がこの世界で日常的に作用していることが簡単に見えてくるわ。宇宙の歴史と言う台本を通じて、エゴは人々や集団を互いに対立させてきた。
そうすれば、個々の関係において、何らかのかたちで分離が確実に行動化されますからね。すべての人が夢から醒めたときに初めて、分離という考えが終わるの。
この世界では、一つになることのなかにもまだ分離がある。そのために、エゴは特別の関係をつくり出したのよ。二元性とともにあなたがたは特別の愛と特別の憎悪を抱く様になった。いまや愛はすべてを包むのではなく選択的になり、ほんとうの愛ではなくなったのに、まだ愛として適用している。輪廻のなかに入ったとたん、あなたはすぐにある家族の一部になる…つまりほかの家族や経済階級や文化や人種集団や国の一部ではなくなるってことね。あなたはすでに多くの面でほかの人たちとは違う。それどころか家族同士、家族の一部同士、家族のなかの個人同士でさえ競い合う。
家族のなかの特別の関係は、生物学的家族でも養子縁組の家族でも里親の家族でも、良かったり悪かったり、愛しあったり憎悪したり…結果として特別の愛かある種の犠牲者を生むことになる。夢のなかでこの世界にやってくる者は誰でも、自分を最初から身体だと考える。それも特別の身体だ、ってね。
犠牲者とか犠牲にするという考えはこの観点から見るしかないし、その結果、罪と罪悪感を…これは忘却という壁に隠されているんだけど、無意識に誰かあるいは何かへ投影する。
こうして、あなたは自分自身についての密かな罪と隠れた憎悪は、よその場所に見えることになる。あなたは自分自身の忘れられた心から投影された非現実の夢を見ているという事実、それは完璧に意識から締め出されています。ほかの人たちと外で起こる出来事、あるいはミスリードされたあなたの身体と脳が起こす罪ありげな行動、それが際限のない恐怖とあなたが人生と呼ぶ、さまざまな状況の原因だと認識されるわけ。
Jが「コース」で、夜ベッドで見る夢と昼間見る夢を比べて教えているわね。
※ここで言うJとはイエスキリストの事
『夢のなかの登場人物やその行動、それが夢をつくっているように見える。あなたかだは自分がそれを生み出していることに気づいていない。自分が生み出しているなら、罪があるのは夢の登場人物ではないし、満足と言う幻想が消えてしまう。夢のなかではそういう面はごまかされている。あなたが目覚めると夢は消えるように見える。しかし夢の原因は消えていないことにあなたがたは気づいていない。現実ではないべつの世界をつくり出したいという欲望は依然として残っている。あなたが目覚めているように見える世界は、夢のなかで見ているのと同じ世界のべつのかたちに過ぎない。あなたがたの時間のすべては夢見ることに費やされている。寝て見る夢と起きて見る夢はかたちが違うが、違いはそれだけだ。中身は同じなのである』
【著者】
人は幻想のなかで自分が否定した罪悪感をよそに投影するんだね。それも自分で気づかずに、実際には、ほんとうはほかに誰もいないんだから、自分の無意識のなかで罪悪感をぐるぐる回転させ、罪悪感もエゴも手つかずに温存しているんだな。Jが「裁いてはいけない。裁かれないためである。あなたがたは裁くとおりに裁かれ、計られるとおりに計られるから」と言ったのは、その意味だね。この言葉が真実なのは、じつは自分自身のイメージを批判し、非難しているからだ。そのことが
、一見罪あるもののようなエゴが、一つの生涯から次の生涯へと継続することにつながる。だって夢を引き起こしているのは罪悪感であり、そこから逃れなくてはならないという思いなんだから。
【アセンデッドマスター】
すばらしいじゃないの、ゲイリー、そのうえエゴはずるいトリックを使って、特別の憎悪の関係と同じように特別の愛の関係も投影させ、罪の再循環という仕組みをいつまでも循環させようとたくらんでいることを忘れないでね。よく見れば、(たいていの人は見ようとしないけど)、この世界の愛はいつも条件つきなのよ。その条件が満たされないときは、気をつけないといけないの。
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合掌