私が子供の頃などはクラスに正義の女子とも思える女の子がいたものです。
教室の中でイジメをしている男子生徒がいたりするとつかつかと近寄って行き「ちょっとアンタ達!もうそれくらいで弱い者イジメやめなよ!」 と、まだ小学校三年や四年の子供にも関わらず『あんた』といい放つ言葉がピシャリと様になる姐御肌の子供がいたものでした。
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言われた男の子の方も「何だよ、女のくせして命令してんじゃねえよ!おまえあんまり威張っていると泣かすからな!」などと『泣かす』と言うところが昭和の子供のケンカ言葉でもありましたが、「やってみなよ!泣き虫なのはあんただろ?本当に強かったらなんで弱い者イジメなんかできるの?自分が弱くて怖いからイジメるんだろ?これ以上やると幼稚園の頃オシッコ漏らして泣いていたのみんなにバラすからね!」と半ば脅しあげる様に応戦する喧嘩上手なこの女の子に(笑)しまいにはべそかき顔で「うるせえよ」などと言いながらも、イジメの輪を解いてしまう男子生徒だったものです。
(=_=;)(^皿^)
私は東京の下町にある小学校に通ったものですが、この女の子にしても、確か水商売で働く母一人に育てられた様な子供で、子供とは思えぬ様な気丈な部分と、寂しさが相半ばするかの様な表情が印象的な子供でもありました。
ピュアな感性を持つ子供の頃と言うのは物事の本質をよく見抜いているものです。
私の記憶に残っていたこの女の子が言う『本当に強かったらなんで弱い者イジメなんかできるの?自分が弱くて怖いからイジメるんだろ?』と言う言葉ほど、イジメはおろかDVや国家間の戦争に至るまで、その本質を言い当てている言葉はありません。
私達は大人になるにつれ、様々な条件付けに慣らされ、十重二十重に複雑化されたフェイクされたものを真実と思い込む様になり、躾や『この子の為』などの名目から、シンプルに真実を見る視点を子供から奪ってしまう傾向さえあると言えます。
子供が物事の核心を突き、真実と思える事を口にする時、親は抗うものを感じるもので、「子供のクセに生意気言うな!」「お前も大人になればそんな理屈が通用しないのがわかる」などと、ピュアな視点や気づきの芽を子供から奪いかねないものさえあるのです。
これさえも恐怖と不安に人を縛りつけておく事を好む、この地球と言う星に張り巡らされたエゴの振り子の法則のなせる技と言ったら驚きでしょうか?
こんな時こそ「お前の見方は正しいよ。大人になれば風あたりが強かったり、色んな事があるかも知れないが、自分の気付きを大切にしてこれからも生きて行きなさい。」と肯定し、肩を叩いてやれる大人になりたいものです。
合掌