おいっ、チョット道行くお前さん!
まあまあ、そう驚きなさるな…何だって?猫に呼び止められたのは生まれて初めてだって?あはは、私に呼び止められた人は誰でもそう言わっしゃる!
ところで、随分と疲れた顔をしておいでの様だ…。
我輩の前を通って行く人間は、その殆どが疲れた顔や気難しい顔をしている。
生きる喜びや証しが欲しい、何かを成し遂げるのが人生だとばかりに両の拳を求める何かに叩き付け、勝ち取るのが人生の意味だと思っている人の何と多い事だろうか…。
でも、周りをよく見てみるといい…あんた方人間の社会は、子供の頃からかたやで人を思いやる優しさを教え込まれながら、その一方では時には人を蹴落とし競争に打ち勝てと叩き込まれる。
こうした世界モデルが、あなた方のマインドばかりか人間の全てを引き裂き、分裂させずにおかずにいると思うか…?
政治やその外交スタイル、企業間での競争の論理、家庭での親の躾から学校での教育、あなた方が信ずる宗教の神々にまで影響を及ぼしている事にあなたは気付いているのだろうか…?
社会に蔓延する刷り込みや洗脳の実態を説く教師は増えてきたが、そんな人達でも何処かの部分で特別性に惹かれ、自分と沿ぐわぬ人を価値判断し、排他する視点を持っていたりもする。
この一部に肯定、一部に否定と言うものは、アメとムチと言う言葉に代表される様に、あなた方人間の日常全てに蔓延しているエゴの力学、言い変えるなら、全てに破壊と再生の芽を埋め込まれている地球と言う星の特性である事を、あなた方は悲観的だなどと称してなかなか認め様としない。
それは陰と陽、ポジティブとネガティブ、善と悪、光と闇、天使と悪魔と言う様に、もっと身近な例で言うならば、
同じ肌の色とそうでない者、愛する者とそうでない者、愛する我が子と隣の家の子供、私が信ずる神とあなたが信ずる異なる神と言う具合に…
あなたは言うかも知れない、『私は他者と自分を否定や区別などしていないし、全てがワンネスで一つである事を知っている』と…
でも、本当にそうなのだろうか…?
愛する我が子に向ける視線と、近所の子供に向ける視線に微妙なボルテージの差や区別がある事にあなたは気づいているのだろうか…?
二極とも、二元性とも言える事象や出来事に神秘性や深淵な意味を与え、その先には進もうとしないのもあなた方人間なのだ。
現在ではその対極し対立するものを自らの中で統合する生き方も説かれる様になってきたが、スピリチュアルな美しい用語に酔い知れる事と、間断なき真理への実践との間には雲泥の差がある事もあなた方人間は知らなければならない。
自らにある恐れや罪悪感、何かに復讐される恐れと言うもの、人はそれがドラマ仕立ての遠くにあるものの様に思い、自分だけはそんな事には無縁だと思いたい、あなた方はそんな生き物だったりもする。
でも、必ず誰にもそれはあるのではないか…?
幼き日の自分の姿に、親や兄弟との関わりや恋人や友人との出会いや別れに、不倫相手との情事の後に感じる胸の疼きと言うものにさえも…
その人の持つミッションやテーマに比例してその形も様々なものがあるに違いない。
病気と言うものさえ、線形的に全てを見る習慣のあるあなた方にとって、肉体としての自分に原因があると思って疑いもしない。
天変地異や世界に尽きる事のない紛争やテロも、新聞を賑わす惨憺たる事故や事件も、今や三人に一人の死因と言われるガンやエイズに代表される原因不明の伝染病なども、集合意識と呼ばれるあなた方の不安や恐れの意識の集積が投影され、顕現させている出来事であると言ったなら、自分だけは関係ないとあなたは言えるのだろうか…?
あなた方人間の世界では、長年に渡り、ガンの進行を抑え込む抗ガン剤の治療が西洋医療の現場で用いられてきたが、一つの症状を抑え込む事から生み出される他の臓器への負担や強い副作用と言うものが、医師側より無益なものと告発される時代になったのは興味深いものがあったりもする。
全く次元の違う事の様に思えども、世界の警察国家と言われる『大国』が世界に果たしてきた役割、その功罪、そしてその大国の決定に従わず『NO!』と拒否する国が増え始め、凋落して行く現在の姿など、抗ガン剤が強い副作用の果てに、ガンの進行を抑えても、肝腎の生命力を奪い、他の症例を発生させてしまう事に似ているものがそこにはないだろうか…?
大国が世界平和の大義名分の元に、他国に干渉し、必要とあらば内戦や紛争さえ画策してきた挙げ句の果ての今、戦争がなくなるどころか、益々の民族間の紛争やテロが起こり、膨大な数に登る飢餓で亡くなる人が後を絶たない事など、抗ガン剤も世界に冠してきた大国も、そのエネルギーの鋳型に於ては、等同なものがある事、こんな見方をすると、あなた方人間の社会を突き動かしているのが何であるのか?朧げながらその片鱗が見える様になるのかも知れない…。
自らにある狂気や恐れ…
人生の何処かのポイントで向き合い、赦し、癒し、手放して行く事を求められる時がある事…
その都度、刹那的な快楽や刺激を与え、ごまかし、問題の先送りは出来ても、恒常な安心を得る事も、統合した生き方も、スピリチュアルな世界で言われる『今この瞬間に生きる事』さえおぼつかないものになってしまう可能性がある事も忘れないで欲しい。
あなたがこれから歩いて行く道の傍らには色んな形の神や偶像が置かれていて、時には花が手向けられているかも知れない…。
あなたが深遠なるものをそこに感じたなら、合掌し手を合わせるのも良い。
でも、歩く事に夢中になってしまい、それを忘れてしまっても何の問題もない。
何故なら…
今までもこれからも、未来永劫、肉体は滅びても、あなたの本質、あなたのスピリットは神と共にあるのだから…
エゴは常に肉体がすべてであると思わせたいと言う事、そしてあなた方人間はそれに応える様に、肉体の声を聞き、今この肉体がある人生がすべてであると思いたがる生き物でもあると言う事…。
でも、その舌の根も乾かぬ内に、老いて行く自分の肉体を鏡で見つめ恐怖するのもあなた達人間でもあるのだ。
肉体がすべてと思っている内はこの轍から抜け出す事は出来ない。
肉体を大切にする事は良い面もあるが、スピリットあっての肉体だと言う事、自らの心の在り様を良くも悪くも映し出す鏡として、その優先順位を逆転させるところに初めて安心がもたらされるのも逆説的な真実と言うものかも知れない。
これからの旅路もどうか内なる神(ハイアーセルフ)の声を頼りに歩んで行って欲しい…。
あなたの全てを知る内なる神は、最も適切で、優しい道の歩み方をあなたに示唆してくれるに違いないのだから。
さて…旅人よ、通行銭代わりに我輩にさんまの開きを置いて行ってくれニャン♪笑
合掌