斉藤由貴 卒業
http://www.youtube.com/watch?v=oSqTaVzqPIk&sns=fb
ふと外出先でこの懐かしい曲のイントロを耳にする事がありました。
何故かその時、この曲には相応しくない、十代の頃、鉄格子の中から見た鳶の舞う青い空や、美しい海岸線の彼方に沈む夕陽を思い出したものです。
歌と言うのは、その時々の記憶を情景として浮かび上がらせるものなのかも知れません。
私がこの斉藤由貴の卒業を初めて聴いたのは、久里浜特別少年院の中でした。
中学卒業後の十代の頃と言うのは、鑑別所から学園、少年院の往復で、殆ど娑婆にいなかった私にとって、時折見かける制服を着た高校生の姿が、青春を謳歌している姿の様に見え、羨ましく思えた時があったものです。
この歌にある『制服の胸のボタンを下級生達にねだられ…』とは、なんとも爽やかな歌詞でもありますが、読者の皆さんの中には卒業時にボタンをねだられた男性の方や、または『セ、センパイ!ボタンください!』と…
(〃д〃)
憧れの上級生のボタンをいただいた事のある女性の方もいるのでしょうか?
このハートに位置する第2ボタンを卒業生より貰う風習は、戦時中の学徒出陣の際に、送り出す若き兵士のボタンを貰う事に、その起源があるとする説もある様です。
私などは中学が最終学歴、卒業時なども、ラブレターを頂く事はあったかも知れませんが、女子の後輩よりボタンをねだられる様な事は無かった様な気がします…笑
それこそ当時は矢沢永吉や横浜銀蝿流行りし、ツッパリ全盛の頃でもありました。
私が当時着ていた校則に明らかに違反している丈の長い学ランの裏地には、一中三中連合総番長に続き、私の名前の入った派手な刺繍を入れていたもので、この学ランどうしたものか…
その後代々(笑)私の卒業した中学のワルガキに継承されて行き、6歳も離れた妹が中学在学時にもそれはあった様です(笑)
そんな妹も今は、大学生と高校生の二人の子供を持つ立派な母親…
私が中学を卒業し、右翼から極道の世界に入り、アウトローな世界を生きていた頃の姿を知る妹にとって、僧侶となり、スピリチュアルな道を歩み出した私の現在の姿は、予想だにしなかった事の様です。
そんな妹が母に『前は恐かったけど、お兄ちゃんも本当に変わったんだね…やっと兄妹らしい話しが出来る様になって本当によかった。』と話していたと聞いて、その世界にいる頃は、自分は好き勝手な生き方をしていたにも関わらず、妹が自分の影響を受けグレるのを恐れ、若い頃などはたまに顔を見る妹にも、あえて厳しくしていた事なども思いだされ、込み上げてくるものがあった私でした。
母とも先日電話で話した折に…『おふくろ、最近スーパーの野菜も高いよな?雪のせいもあるのかも知れないが、それにしてもお母さん方って言うのはたくましいよな(笑)スーパーの品物でも、日付の新しい下にある物から引っ張り出して取って行こうとするんだから(笑)』と私が言うと…
『うん、こっちも野菜は高いよ、それにしても、お前が野菜が高いだなんて、あはは…昔のお前だったら気にも引っかけぬ事だったろうに、お前もすっかり板に付いて(堅気が)きたんだね…。』と笑う母の声…
そんな母の声に、今さらながらに、かつては信じて疑う事さえ無かった過去からの『卒業』を有り難く噛み締める愚僧でありました。
合掌