☆「わるもの」を論ずる親子の姿…短い言葉にも真実を伝える親であれ!極道当時の回想から

 
 
 
※写真はWebより引用。
 
 
私が子供の頃だった昭和40年代などは、仮面ライダー1号、2号、V3がテレビでシリーズ化されて放映されており大人気でした。当時は空き地などでよく仮面ライダーごっこをしたものです。
 
おもちゃ屋で買ったのか、電池の入った仮面ライダーのベルトを持っている子供が羨ましかったものでしたが…
下町の子供の世界、遊びにも厳然と序列があったもので(笑)ベルトを持っている子供が必ずしも主役の仮面ライダーになれる訳ではなく、一級上くらいの子供から「お前、ベルト持ってるからって威張ってんじゃねえよ、ちょっと貸せよ」と意地悪を言われた上で取り上げられ、「お前ショッカーな、なんか文句あんのかよ」と遊びの上でもしっかり冷やメシ(笑)を食わされた揚げ句、まだ誰も持っていない玩具を持っているこの子供に「ごっこを装ったイジメ」が集中し、最後にこの子供は泣いてしまうのでした。
 
子供の理不尽さは連鎖するもので、イジメて泣かせた当人である事など忘れたかの様に、この上級生に半ば恭順を示すかの様に、泣いてる友達を見て笑った子供に向かって「おい、お前、なに笑ってんだよ、人が泣いてんのを見てそんなにおかしいのかよ、お前それでも友達かよ、人間かよ」とこの上級生は攻撃の捌け口を転嫁させたものでしたが、こうした未成熟で理不尽なイジメの鋳型と言うものは、子供の世界に限らず、大人の世界にもしっかり横たわっている事でもあります。
 
ただ大人と子供のそれの違いと言えば、そこにもっともらしい、会社や組織の優先理論がきたり、一方通行な常識や人情論があったり、様々な信念やモラルなどの形を採用している様ではあっても、意図されている事に於いて、子供のそれと変わりはなかったりもするもので、その芯(嫉妬や憎しみなど)にあるものだけが、その場にいた人間の胸に透ってくる場面と言うものも、人として生きて行く上で誰しも経験して行く事でもある様です。
 
ところで…冒頭の仮面ライダーに出てくる「ショッカー」は、いつもドラマの中では悪役の子分よろしく雑魚の扱い甚だしく(笑)「キキィ、キキィ!」と奇妙な唸り声をあげて、主役の仮面ライダーに一撃の元に滅ぼされるばかりなのですが、でも、どんなドラマやアクション映画などにも、このショッカー的な存在は出てくるもので、主役や敵役は記憶しても、悪党一味のチンピラの様なそうした存在の顛末など、心を向ける方などはそうはいないに違いありません(笑)
 
まだ私が極道の世界にいた頃、それが病院だったのか、何かの施設での事だったのか?記憶が定かではありませんが、テレビの置かれた待ち合い室の様な所に座っていた時があったもので…私の座る近くに母親とまだ小学校に上がったばかりくらいに見える子供の親子が座っていたものです。
 
この時テレビでは子供向けの番組が放映されていた様で、この子供はテレビに向かって自分の指をピストルの様に画面に向けて「バン、バン」と大きな声で言い始めた事から、「○○ちゃん、皆さんいるところで大きな声出したらいけないでしょ」と母親とおぼしき人がたしなめていたもので、これだけなら公共の場などで騒ぐ子供を叱る親の姿などによく見られる事でもあります。
 
この子供も母親から注意を受けた事から大人しくなったものの、画面に向かって今度は「もっともっと、悪いやつなんだからやっつけちゃえばいいんだよ!」と言ったものです。別に大きな声でも無いので周囲にいる大人は、もうこの子供に注意を払っていませんでしたが、着物も鮮やかに凛とした雰囲気を持つこの女性が「堅気」なのか?あるいはクラブのママなのか?あるいは日舞や何かのお稽古事のお師匠さんなのか?と、私の中で興味深く判別している様なところがあり、なんとなくこの親子のやり取りを視野の隅に収めて見ていたものです。
 
すると、この母親が「○○ちゃん、悪ければやっつけちゃえばいいの?でも、その悪い人にだって、○○ちゃんにママがいる様に、きっと、パパやママがいるんだよ」と少しはにかんで言うのに対して…
 
「だってしょうがないじゃん、わるもの(悪者)のパパとママなんだからさ…センセイだって、悪い人はけいさつにやっつけられるって言っていたよ、消えちゃえばいいんだよ」とこの子供なりの世界観で応戦するのでしたが言葉に力がありません(笑)
 
「でも、もし、○○ちゃんがわるもので、お母さんの目の前からいなくなっちゃったら悲しくて生きていけないよお母さんきっと…○○ちゃん、これはテレビだけどね、どんな人のまわりにだって、お父さんやお母さんがいて、いつも大切に思っている人たちがいるの。わるもの(悪者)だからって、やっつけて消えてしまっていい人なんか誰もいないの。分かったの?いたずらくん…」と、笑顔で子供の鼻をつんつんと軽く指で突くこの母親と子供の姿が何とも微笑ましく映ったものです。
 
何故こんなとりとめもない場面を記憶していたかと言えば、当時は私も極道世界の住人、組長の私に裏切りに等しい事を働いた人間が許せず、若い衆にも言わず、単身乗り込んで半殺しの目にでも合わせてやろうかと悶々としていた時だったのです。
 
そんな時に目にしたこの親子の僅かな刹那の姿…
 
「消えてしまっていい人なんかいない」
 
「どんな人間にだって周りには親や大切に思っている人がいる」
 
と、この母親の言葉がその時の私に何かを突き付けている様で、勿論、当時はヤクザとしてする事に確信犯であった私でもあり、仏心がついた訳ではありませんでしたが、それでもこの親子のやり取りを見ている内に「そう言えば、あれ(報復する相手)にもちっちゃい子供もいれば、年老いた母親もいたよな…」と何故か執着していた自分が馬鹿に思え、怒りも溶けてしまったものです。
 
そしてこの母親が子供に言った「いたずらくん…」と言う言葉が、一天地六の賽の目を降って散らした様に親不孝を重ねてきた私を言い当てている様で、思わず苦笑いのでた私を、この母親が知るはずもありません。
 
今振り返って見ると、極道の世界にいた当時でさえも、聖霊(ハイアーセルフ)はその時々、人の姿を通してさえも、私の中にあるもの、気付き手放して行くべき事などを、必要必然のタイミングで見せてくれていた様な気がします。
 
     
                 合掌

 

 
タイトルとURLをコピーしました