皆さんはaikoの『ボーイフレンド』と言う曲が流行っている頃、何をされていたのでしょうか?
私がこの歌をよく耳にしたのは拘置所の独房でした。
雨上がりの日など、錆臭い香り漂う独房のラジオから流れる『あーーっ、テトラポッ トのぼ~って~♪』と響くaikoの歌声が、獄舎で聞く歌にしては何とも場違いな陽気な歌の様な気がしておかしさが込み上げてきたものです。
TVと違いラジオは番組の入れ替わりが少ない事もあるのかも知れませんが、まだ十代の頃、鑑別所や少年院で聞いたラジオ番組のテーマ曲が流れるのを聞いたりする時、ここだけ時間が止まっているかの様な奇妙な感覚があったものです。
そんな人生の蹉跌の時期に出会った『神との対話』と言う本でした。
著者が人生の不遇の時期に神と思われる高次の存在の導きのままに自動書記で書かれた本として有名ですが、その中で私が心動かされた著者と神の問い掛けを記したいと思います。
以下、『神との対話』2巻より引用
【著者】
あなたのお話しはとても詩的ですが、詩は現実的ですか?
ひと切れのパンがないためにやせおとろえて死んで行く子供を抱いたエチオピアの母親に何か言ってやれますか?
中米で、軍隊が村を略奪するのを阻止しようとしたために、銃弾を浴びた男には?
それに、ブルックリンでギャングに八回もレイプされた女性に、あなたの詩は何と言ってやるんですか?
日曜日の朝、テロリストが教会に仕掛けた爆弾で吹き飛ばされたアイルランドの家族六人には?
【神】
そう聞くのはつらいが、すべては完璧なのだ。
完璧さを見抜く努力をしなさい。
それが私が言っている意識の変化だ。
何も必要としないこと。すべてを望むこと。現れたものを選択すること。
気持ちをかみしめなさい。
泣きたいだけ泣きなさい。笑いたいだけ笑いなさい。自分の真実を誇りにしなさい。
だが、すべてを感じつくしたときは、おだやかに、わたしが神であることを知りなさい。
言い換えれば、最も大きな悲劇のさなかに、プロセスの栄光を見なさい。
胸を撃ち抜かれて死ぬときですら。またギャングにレイプされているときですら。
そんなことは不可能だと思うかも知れない。だが、神の意識の中に入れば、それができる。
もちろん、そうしなければならないというのではない。
それはあなたがその時をどう体験したいかによる。
大きな悲劇にあったときの課題は、どうやって心をしずめ、魂の奥深くへ入って行くかだ。
もうコントロールできない、というとき、あなたがたは自動的にそうなる。
車が橋から墜落する事故にあったひとの話を聞いたことはないか?
あるいは、銃をつきつけられたひとの話は?
溺れかけたひとの話は?
時の歩みが遅くなり、不思議な静けさに包まれて、恐怖をまったく感じなかった、というひとが多いはずだ。
『恐れるな、わたしがあなたとともにある』というのが、悲劇に直面したひとに詩が語らねばならない言葉だ。
最も暗いときに、わたしはあなたの光となるだろう。
闇のなかで、わたしはあなたの慰めとなるだろう。
最も困難な試練のとき、わたしはあなたの力となるだろう。
だから、信じなさい!
わたしはあなたの羊飼いだから、あなたは乏しいことはない。
わたしはあなたを緑の牧場にくつろがせ、憩いの水ぎわに導くだろう。
わたしはあなたの魂を生き返らせ、わが名のために、正しい道に導く。
たとえ死の影の谷を歩くときも、災いを恐れるな。
わたしがあなたとともにあるからだ。
私の鞭と杖があなたを慰めるだろう。
わたしはあなたの敵の前で、宴の卓を用意する。
わたしはあなたの頭に油を注ぐ。あなたの杯をあふれさせる。
真実に、あなたが生きているかぎりは、恵みと慈しみがともなうだろう。
そして、あなたはわたしの家にそしてわたしの心に永遠に住まうだろう。
合掌