映画『カッコーの巣の上で』を観て…エネルギーの皮肉な真実!

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先日の深夜、グラウンディングし瞑想を終えた後でケーブルTVを点けると『カッコーの巣の上で』と言う映画が放映されていました。

1970年代に製作された映画でもあり、私などもTVでの再放送やDVDで見たクチではありますが、若き日のジャック、ニコルソンの演技が光る世界で高い評価を受けた映画でもあります。

ストーリーの解説は長くなるので省略しますが、労働農場と言う刑務所から精神病院に移送されてきた一人の男がその中で自由を勝ち取ろうと抵抗を試みる姿を描いたその内容は、ある面、精神病院の実態を描いたかの様な内容ではあるものの…

この映画、一病院を舞台にしたものではありますが、リアルな私達人間が生きる社会構造を見事に投影するものがあり…

古い映画ですが、国内外の社会構造からモラルや信念、あらゆるものが揺らぎ、新しい世界へ向けての変化に向け激動の現代であればこそ、尚更に胸に透る内容でもあります。

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病院を国家とみなし、院長や婦長、働く職員を政府や司法と見なす事も出来、何よりも患者の姿に、不安や恐れを源にした社会構造から敷かれるシステムに大きく制限を受け、縛られ翻弄される私達人間の姿が色濃く投影されているものを感じた私でもありました。

精神病院に抵抗を試みるジャック、ニコルソン演じるマクマーフィーは、婦長や職員にさえ、時にはユーモアさえ交え反抗し、同じく入院する患者達を扇動していくのですが、同時に患者達に病院が敷くカリキュラムや治療では得る事の出来ない、自尊や自立の芽も植え付けていきます。

それも社会に帰れる事を見込んでの抵抗だったのですが…病院内の会議で、正常でむしろ入院者を扇動する危険分子としてマクマーフィーを退院させ様との意見が占める中『私達が救うべきです。』とさもありなんな医師としてのヒューマニズムさえ盾に取り、婦長がマクマーフィーの社会復帰の芽を摘んでしまいます。

その裏にはことごとく自分や病院のシステムに反発するマクマーフィーに対する憎悪があり、病院のカリキュラムに対し盲目で従順である事を強いる『あなた達はお馬鹿さんでいればいいの!』と言わんばかりのこの婦長の姿に…

国家が、そのシステムに挑む者を許さぬ暴力装置としての側面を持っている事を、この映画の作者がニヒリズムさえ持ち描写しているものを感じるばかりでした。

病院からの脱獄(この形容が相応しいと思います。笑)を企てたマクマーフィーですが、脱獄当日夜勤の職員までを抱き込み、表から仲間の女性や多量の酒を持ち込み、入院する仲間の為に乱痴気騒ぎを繰り広げます。

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逃げるつもりが酔い潰れてしまい、翌日全てが発覚してしまいます。

強度の吃りではあるものの、正常な感覚を持つ女性経験の無い若者の為に女性までを充てがったマクマーフィーでしたが…

意地の悪い婦長は、この若者が異常なまでのマザーコンプレックスである事を知った上で『この事態を知ったらお母様は何と思うでしょうね…?』と告げ口する事さえ匂わせ、皆の前で吊しあげ首謀者マクマーフィーの名前を吐かせてしまいます。

この若者は見事に自らの持つ闇を婦長に突かれてしまい、母親に発覚する事を恐れ発狂し、自殺してしまうのですが、それを見ていたマクマーフィは婦長に掴みかかり、絞殺せんばかりに首を締め上げるものの、職員に後ろから殴られ気を失い挙げ句の果ての隔離…

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それからしばらくの時を経て病棟に帰ってきたマクマーフィーに、最も仲の良かった通称チーフと言うネイティブの大男が語りかけます。

以前に病院から逃げ様とマクマーフィーに持ちかけられた時は『俺は小さな木だから一緒に行く事は出来ない…』と自らを木に例えて断った大男のチーフでしたが、病棟のベッドで横になる友の身体を揺さぶりながら…

『俺も大きい木になる事が出来た!一緒にここから出よう!』と語りかけるも時すでに遅し…ロボトミーの手術により、前頭葉を切断され、廃人同様の生きる屍と化していたマクマーフィーの姿を見たチーフは、ハグをした上で『お前だけここに置いて行きはしない…』とベッドの枕でマクマーフィーを窒息死させます。

倫理の問題はある場面かも知れませんが、このネイティブの大男の澄んだ綺麗な目が全てを物語るかの様な場面でもありました。

その後で鉄格子のついた窓をぶち破り外へ出たチーフの姿に…様々な制限や制約と言うシステムがもたらす幻想を打ち破り、覚醒した真の自分を生きる人間の姿が投影されているかの様でもありました。

混沌と激動の現代、様々な社会構造の矛盾も浮かび上がり、その様な事象を見る時、大鉈を振るうが如く今の政治や体制を刷新し、時に打ち壊してしまえとばかりの気持ちになるのも私達人間でもありますが…

何かに抵抗し挑むかの様に抗う時、その対象となる事に強いエネルギーを与え、益々困難な状況を作りあげてしまうエネルギーの法則の真実と言うものがある様です。

マザーテレサが上手い事を言ったもので、戦争反対よりも平和を愛す方が良いと言う意味の事を言っていますが、これは単なる言葉の綾ではなく、エネルギーの真実を言い当てる名言の様な気がします。

私達は誰でも知っているのではないでしょうか?何かに反対と言うプラカードを持ち行進する時、卵やトマトなどを投げつけられる時の多い事を…

反対と言う意識や想念の在り方が、エネルギーの磁場を作りあげ、反対とする事象や人にエネルギーを与え、より強固なものにしてしまうエネルギーの皮肉な真理がある事を忘れたくないものです。

平和運動でも原発反対の運動でも、その中に批難中傷するものが強過ぎればかえってその様な実の結び方をし、遅遅として進まぬ政府の対応と言う『幻想』をいつまでも見せられる事にもなりかねないのではないでしょうか?

先日、第三極と言われる政治家の党首が並んで写る写真を見まし
たが、私は正直あまり爽やかな印象を感じませんでした(笑)

政治家が国民の意志を体現してくれればそれにこした事はありませんが、政治の世界には人間の権勢欲やエゴを餌とする長年に渡る強固な磁場が形成されていて、少々の理想を持っていたところで、その持つ鋳型にたちどころに淘汰されてしまうものを感じます。

政治に関心がある方が多い中、無関心の様で申し訳ないのですが、これからの新しい時代は、政治の世界の外から様々な斬新なアイディアや発想が相次ぎ、国が敷いてきたあらゆるパテントやシステムを揺さぶり崩して行くものを感じたりもします。

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『カッコーの巣の上で』と言う映画、舞台は精神病院なれど、様々な社会から受ける制約で自分を見失いがちになる現代を生きる私達にとてもアプローチするものがある様に思えたストーリーでもありました。

合掌

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