お知らせの記事にも書きましたが、日頃懇意にさせて頂いてる女性シャーマンの依頼で、土地や建物の浄化や浄霊のお仕事で一路札幌に向かった私でした。
今回は広大な敷地面積を持つ邸宅と言う事で、三名での浄化ワークとなりました。
お仕事に入る前にこの邸宅のご近所でもある北海道神宮へとご挨拶に向かったのでした。
雨も降り出し、雨が降り止まぬ様であれば、翌日の早朝の気の良い時間に変更する事も移動の車中で話していたのですが…
北海道神宮に着く頃にはカラリと晴れ間も見え、雨もあがり当初の予定通り現地に入る事が出来ました。
パワースポットとしても有名な北海道神宮…敷地内は凛としたエネルギーで満たされていました。
それはちょうど以前に明治神宮を訪れた際に感じた御神気に似ていると言えるかも知れません…。
浄化浄霊、加持祈祷は特殊なワークでもあり願主の方のプライベートもあり詳しい内容は書けませんが…
時に買い受けた土地や建物に以前に住まわれていた方が故人であれば霊として居座っている場合や…御存命の場合でもその方や同居されていた方の想念が残存し踊っている様な場合もある様で…
こうした事に後から入居された方が影響を受けてしまう場合もある様です。
(((;゚д゚)))
またそうした土地に年月を感じさせる銘木などの植木や庭石、燈籠や石で出来た仏像など…以前の持ち主の愛着を感じさせるものがそのまま放置されている場合もあり、新しく土地や建物を買い受けた方が事業用地としての転用を考えている場合など…
命ある木を切り倒し、こうした物を「無礙に処分して良いものか?」と悩むところでもあります。
ひょっとしたら後で障り(さわり、祟り)があるのでは?と不安な思いが胸をよぎるのも無理からぬところであります。
スピリチュアルな事に精通している方ばかりでなくとも、木や石などの鉱物に宿りし命と言うものを人間はその深いところで感じ取っているからこそ湧き出る恐れなのかも知れません…。
現在はセレモニー化してしまっている感のある地鎮祭なども本来は深い意味のある事の様です。
三人で手分けしてのワーク、私は四方結界の上、土地の浄化や仏像の精抜きをしていったのでした…。
不動真言と共に不動の火焔が敷地内をあまねく浄化して行く観想をして行きます。
地の神、水の神、木樹の精霊にもご挨拶をし、今後改修工事で木を切らねばならぬ事のある事も詫びた上で新たに住まわれる方の御加護と祝福をお願いし広大な敷地の中を歩いて行きました。
真言密教の教えの中には「発遣、ホッケン」と呼ばれる仏像の精抜きや木を伐採する際の行法がありますが…
(本当は「発」と言う字は旧漢字を用います。)
その中でも…
「木に宿るところの地水火風空の諸鬼神、並びに一切の精霊等に白して言さく(もうしてもうさく)」と言う祈祷に入る前に読みあげる「表白、ひょうはく 」と呼ばれる文中に出てくるくだりが出てきますが…
この言葉をもっとかみ砕いて今時のニューエイジ風の祈りの言葉にしようとも、その意味するところは一緒でもあります。
1500年の歴史を持つ弘法大師、空海を開祖とする真言密教ですが、自然を愛し、木や水の精霊に語りかける事を尊ぶ現在のスピリチュアリズムと類似している部分も多く興味深いものがあります。
こうして札幌でのワークを終えた私達一行…
晩には願主の方より歓待を受け、北海の海の幸を御馳走になったのでした
翌日札幌から羽田へ
共に仕事をした仲間達とは羽田空港で別れ、私は鳥取出張セッションに向かうべく、遥か山陰へと気持ちは馳せていたのでした。
合掌