いつの事かは忘れましたが…ケーブルTVを見ていた時の事…
宮沢りえさんが出演している映画が放映されていました。
買い物依存症の若い女性がその役所…
この洋服を衝動買いしてしまう女性がある時…それまで黙って妻の買い物癖を看過し見ていた夫から「たくさんの洋服を買うのはいいが、身体はひとつ…少し考えたらどうだ…」とやんわり窘められます。
言われて見ればもっともな事…
この女性も理性の部分では買い物依存症に陥っている自分に歯止めをかけなくては…と分かってはいる様で…
夫から意見された事もあり…慌てて買った洋服をお店に返品しには行ったものの…
ここで魔がさしてしまいます。
自宅への帰りの道中に再び返品した洋服を買い戻す電話を入れ、車を店へと反転させた刹那に事故に遭い亡くなってしまうと言うストーリーでした。
これはあくまで映画の話し…しかしながら、事故に遭う事は無いにしても、女性の方であれば、大同小異、五十歩百歩と言った具合に、似た様な経験をお持ちの方も多いのかも知れません。
洋服やバッグや化粧品、貴金属やダイエット食品等…その対象に事欠く事はない様にさえ見えます。
勿論これは映画の事であり、フイクションではありますが…もし実在する女性の話しだとしたら…
エネルギーで見るとどういう状態なのでしょうか…?
グラウンディングとはエネルギーコードで地球と繋がり自分自身に安定をもたらすスキルである事は今までブログに書いてきた通りでありますが…
宮沢りえ演じるこの女性の状態と言うものは、グラウンディングコードがスッポリと抜け、不安定この上なく、不安や恐れから来るマインドに支配されやすい状態と言えるかも知れません。
しかし…
人間目の前にある現実に現実的に対処するのが一番!
人が生きて行く上で、難しい事を考えても始まらないし、人間分相応に生きて行くしかないじゃないかスピリチュアルだグラウンディングなどと、一文の得にもならない事に何の意味があるのか
エネルギーだ、祈りだ、ヒーリングなどと言ったところで、そんなものに何の力があると言うのか?金でも湧いて来るとでも言うのか?そんなもの屁の突っ張りにもならないではないかとばかりに…
((o(*≧д≦)o))
時に会社や瑣末な人間関係に翻弄され、ローンの支払や生活費、借金の支払いと言った具合に、日々追われる様なサバイバルな人間世界を生きる私達にとって、こうした考えが主流を占めるのも無理からぬところでもあります。
こうした時に縋る様に求めた宗教などへの信仰と言うものが、一定の「癒し」と言うものをもたらしてくれる時もあります。
しかしそれも一定のレベルまでなのかも知れません。
昔から「バスと女は追うな!」とはよく言ったものですが…笑
神仏の世界も一緒の様でもあり、合掌し手を合わせてはいても、感謝よりもそこに今の自分の現状に対する不満や恐れから逃れるかの様に渇望する飢餓感が祈りや信仰に形を変える時…
常に満たされぬものを感じざるを得ず、そこには祈りや信仰の結果に執着する飢えを生み出してしまう場合もある様で…
こうした状態では、安心立命の境地はおろか「信心する為に信心している」または「行をする為に行をしている」状態でもあり、その行為、所作や礼拝の作法、挙げ句の果てには…
御札を置く方角や、仏像や仏具の置く位置が悪いからさっぱり願いが叶わず災難が続くのではないか
唱えるお経が悪くて神仏の怒りを買っているのでは?などと…
自らをとんでもない方向へプログラミング(自らを特定の信念に基づく行動や考え方、否定的な体験に根を持つ性癖など、繰り返し反復させるエネルギーの実際)してしまう方もいる様で…
そうした方の場合だと、教義や所作と言うものに自らの多大なエネルギーを貼付け消耗してしまい、祈願とする事を益々遠ざけてしまう皮肉な状態さえ起きかねません。
スルリと神仏がすり抜けてしまい、いつまで立っても「外に真実があると思い」自らの内にある豊かさや神性に気付く事の出来ぬ堂々巡りを繰り返してしまうのかも知れません。
リラックスを欠いた深刻さを伴う祈りや信仰と言うものは、中々物事を成就させる事はないと言えそうです。
【つづく】