得度の光りと影…男たちの挽歌④

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※得度式にて…

拘置所から刑務所に移送される時まで私と一緒だったTですが…刑務所に着くと私達はそれまでの私服から灰色をした受刑服、通称アオテンに着替えさせられました。

着く早々に役職に付いた刑務官より、懲役として収容された旨の言い渡しを受けます。

ここで着く早々に私はこの刑務官よりカマシを入れられたのです(カマシ・ 怒鳴る)

「貴様~ッ!!なんだ!その気をつけの姿勢は!指先が全然伸びとらんじゃないか!!貴様は刑務所をナメとるのか~っ!!」

「ここは娑婆じゃねえんだぞ!分かっとるのか貴様~ッ!!」

と到着早々の洗礼を受けたのです。

こうした「郷に入らば郷に従え」とばかりの新入時のセレモニーを、少年の頃より私は何度受けて来た事でしょうか…?笑

少年刑務所以来の下獄で多少油断もあったのかも知れません。

しかしながらこの時ばかりは、言われなき揚げ足取りに思え、私はカチーンと来てしまい、思わず「コラーッ!上等や!勝負せんかい!」と口から出そうになったのです。

その刹那!私の脇にいたTが「組長いかん!辛抱して下さい!」とばかりに私の袖を引っ張るのでした。

ここで一言でも刑務官に反抗する言葉を吐けば、たちどころに柔道や空手の有段者揃いの「警備隊」によって、袋だたきの上抑え付けられたに違いありません。入所早々の懲罰房送りを私はTに助けられたのでした。

そんな私とTは配役される工場は別々でした。

新入時の行動訓練や考査期間が終わり、工場へ配役される日…共に廊下を歩きながら「組長、身体を大事に努めて下さいね!お元気で…」と刑務官に聞こえない様に私に小さな声で彼は私に別れの言葉をかけてきました。

私も「おぅ!自分も元気で頑張れよ!」と応え、それぞれが別々の工場へと向かったのです。

こうして私はエリート工場と呼ばれる印刷工場に配役になったのです…。

刑務所の中で印刷工場と言うのは、受刑者から羨望を集める工場でもありました。印刷のインクの関係からか室内の温度を一定にする必要があり、夏は冷房、冬は暖房の効いている所内唯一の快適な工場であります。

酷寒の地、北海道にあって寒い刑務所でなりやすい凍傷やしもやけになる事もありませんでした。

寝起きする雑居房は八人部屋でした…私が服役したこの刑務所は再犯刑務所と言って、ヤクザは勿論の事…犯罪のエキスパートや再犯を繰り返し、数回の服役経験を持つ個性あふれる「懲りない面々」が集まる刑務所だったのです。

ただでさえクセのある人間が集まる刑務所ですが、そうした人間達が共に暮らす雑居房と言うのは社会の最底辺を成す人間社会の縮図とも言える場所でもあります。

極道も居れば、強盗や泥棒もいます。

通称パンサーと呼ばれるスリの親玉もいたりします。

中には娑婆では真面目に働いていたものの、純情すぎるが故に刃傷沙汰を起こし入ってきた人間もいます。

しかしながら何と言っても多いのが、覚せい剤事犯の人間達でした。

冬は雪と厳しい寒さに閉ざされてしまう北海道…冬場仕事がなくなる事から内地への出稼ぎは良く知られるところでありますが…
それは北海道のヤクザ事情にも同じ事が言える様で、冬場など資金源の乏しくなる事から、どうしても手っ取り早く金になる覚せい剤に手を出し捕まって来ている人間もたくさんいたのです。

私は印刷工場に配役され、初めは新入のパートである箱折りをさせられたものです。(バタークッキーや北海道銘菓の箱を折らされたものでした)

私が工場に配役されてすぐに腕に腕章を巻いた「立ち役」とよばれる受刑者が私のところにやってきました。

「立ち役」と言うのは刑期も長く、同じ懲役(受刑者)や工場を統括する刑務官にも信頼されている人間が抜擢され、半ば自由に工場の中を歩き回る事が出来、良くも悪くも刑務官に知られぬ形で懲役の間を様々な伝達や根回しの出来る立場でもあり、影響力のある極道が成る場合が多かったりもします。

私の元に来たその「立ち役」は新入の私に作業手順を教えるフリをしながら話しかけてきました…。

「稼業(ヤクザ)の方ですか?」と私に尋ねてきたのです。

これに対し私は「稼業名乗り」と言う自分の所属する組織や姓名を相手に伝え…「よろしくお願いします。」と一言添えたのでした。

それに対し「立ち役」のMも丁重な挨拶を返してきたのですが…

こうした事は「引き回し」と言って、立ち役を通して工場内のヤクザに私が籍を置く組織名や私の組での役職が伝達されて行くのです。

次の日、工場に出役すると再びMが私の元にやってきました。

すると私の目の前の作業台にこれみよがしに「バサリ!!」と作業用の箱の束をMは投げ置き、「これやっといてくれる~!」と昨日とは打って変わりナメた挑戦的とも思える口調なのです。

これには思わずカーッと火の点いた私でしたが、新入早々の事でもあり、かろうじてこらえたのでした。

さらにまた次の日、やはりMが私の元にやって来て同じ様に私の目の前に作業用の箱の束を物憂げな顔さえ見せ、投げ置いたのでした。

次の刹那…私は担当台に座る工場担当の刑務官に視線を走らせ、こちらを見ていない事を確認した上で、このMに「オイッ!なんじゃその物の置き方は!なめとったら承知せんぞこのガキが!明日、運動場の隅に来いや!」とカマシた上で喧嘩を売っていました。

Mは予想外の私の反応だったのか、一瞬泡食った様な顔になったものです(笑)

拘置所で読んだ「神との対話」もどこへやら…身体に刺青で入れた阿修羅の如き当時の私でもありました。

この立ち役の「M」も私と同じ代紋(組や一家の家紋)を持つ大組織の傘下団体の幹部だった男でもありましたが…

極道の世界…同系列の組織と言えども、直接自分が所属する一家や組が違えば遠慮ばかりしていられない一面があるものです。

極道にとって「一歩下がれば百歩下がる」事でもあり、それは娑婆も刑務所の中も一緒なのです。

大きく揺らした振り子はこちらに返ってくるもの…

Mのいる組織は工場で最大の派閥を持つ組織でもありました。

Mは「作業伝達」を装い自分と同じ組織の人間の間を歩き回り、私との事の顛末を耳打ちするかの様に話し仲間の同意を取り付けている様でした。

私はそうしたMの姿を視野の隅に入れながら…他の懲役の座る作業台や印刷の機械の周辺に目を走らせていました。

Mの居る組織の人間達の間でグズグズと私の事で沸いている(物議を醸す事)のが私には分かっていました。

こうした場合…功名心にはやるMの派閥の若い人間が私に跳んでくる(先制攻撃)事も考えられ、油断は出来ませんでした。

相手が丸腰で来るとも限らず…私はいざとなれば相手を斬りつける鋭利な工具の目星を付けておいたものです。

「作業やめーっ!」と担当台に座る刑務官から号令がかかります。

※刑務所では受刑者は刑務官をオヤジと呼ぶ慣わしがあります。

作業が終わり、点呼を取り終え舎房に帰るまで待機する時間があります。

「ひだり~ひだり~ひだり~みぎ!」「連続歩調始め~ッ!イチッ!ニィッ!サンッ!シィッ!」と刑務官の号令の元に「ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!」と他の工場の受刑者達が一日の仕事を終えて還房(部屋に帰る事)する為に廊下を行進する音が響き渡ります。

しかし、こうした時も油断はなりませんでした…後ろと言わず前と言わず喧嘩にルールはないのです。

まして刑務所の中の喧嘩などと言うものは、たちどころに警備隊に制圧されてしまうのがオチであり、万事が先手必勝なところがあるのです。

警備隊に抑え込まれた時にどちらの分が良かったかでその後の風評が決まってしまうのです。

喧嘩に勝ったところで「事件送致」と言って、中で略式裁判にかけられ刑期を増やすだけなのですが…笑

こうしてその日は何事もなく、舎房に帰ったのですが…部屋に帰った私は同じ部屋で寝起きする若い人間の顔が曇っているのを見逃しませんでした。

その人間はMと同じ組織の人間でした…私とMとの顛末を聞いてかバツの悪い顔をしているのでした。

本来これから雨の日も風の日も仲良くしていかなければならない同房の仲間でもありますが…
お互い組織に身を置く立場…ハッキリさせて置かなければ後腐れが残ってしまいます。

私は改めて部屋にいる他の人間の目の前でこの若い人間にMとの事の顛末を話したところ…
この若い人間も「私もMはちょっとおかしいと思っていました」との事…

話しを聞いていた他の人間達も「いゃ~全く同感ですよ!よくぞ言ってくれました!」と共感されてしまう始末だったのです(笑)

そして次の日…工場に出役し点呼を取り終えて職席に着いているとMが私の目の前にやって来ました。

その目に戦意はありませんでした。

作業用の帽子を脱いだ上で、Mは「昨日はどうもすいませんでした…私も修行不足で分からないところもあるのでよろしくお願いします」と頭を下げて来たものです。

私はこれを聞いて「うん、分かったよ!あんたも地元の金看板の組織の人間なんだから、よそから旅かけて来た人間を大事にする事でひとつもふたつも人からたててももらえるんじゃないか?まぁこれからは仲良く頼むよ!」と後腐れの残らない話しで終わらせたのでした。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな…」と言う言葉がありますが

人間の素面とも言うべき地金が剥き出しに出る刑務所では尚更に大切な事でもありました。

そんなある日、別れたはずのTが私の居る工場にやって来たのです。

【つづく】

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