ひな祭り…毘沙門天御縁日!

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昨日三日はひな祭り…

自坊本尊大元帥明王とともに祀る毘沙門天の御縁日でした。

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※近所の鎮守・尾久八幡神社です。

早朝より氏神様や近所の鎮守様に日々の感謝と共に御挨拶を済ませ…
自坊にて毘沙門天の供養法を厳修いたしました。

私はよく「お寺さんは神社と関係ないし、神社に行く事はないのですか…?」と聞かれる時があります。

八百万の神と仏教の仏をいにしえの昔より見事に融合させて来た大和の国、日本…

明治に入るまでは、お寺の住職が神社の宮司や神主を兼任していた歴史もあるのです。

明治に入り、国家神道が確立し、神仏分離令が敷かれた為に寺院が取り壊されたり、お寺の住職が神社の神主に衣更えさせられたりと仏教受難の時代を経て現在に至っています。

しかしながら「両部神道」と言われた神仏集合の教えは今でも脈々と、真言密教の行法の中に受け継がれているのです。

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この壇上の前に見えるそれはまさしく神社の鳥居を意図したものであります。

自坊本尊の供養法を執り行う時など…

私は「意念」と呼ぶ観想の中で、スルリとこの鳥居をくぐり…天照大神や八幡神のいらっしゃる氏神の神社や鎮守の本殿の奥の奥まで入って行きます。

そこで自分の氏姓名を名乗り、日頃の感謝を述べた後で…

般若心経を唱えるのです。

私の様な愚僧が偉そうな事は言えませんが…笑

密教行者の真骨頂とは、お経や真言(マントラ)の回数にあらず…
自らを菩薩と化して事を成就させる意図された意念(エネルギー)の使い回しにある様な気がしてなりません。

得度し、加行を終えた私に師僧が…「君は一人でもしっかりやっていけるよ、どんな仏でもあなたの意図する様に働いてくれる事を忘れずに頑張りなさい。」と私に言って下さった事がありました。

身体を印契となし

出入りの息を真言と成せ

座を立たずして

一切の仏事を成就すべし

短い言葉ながらも含蓄のあるこの言葉…

密教僧の極致とも言えるこの言葉が私は大好きです。

護摩を焚いている僧侶は何処を見ているのでしょうか…?

見事なお不動様や彫像された本尊を見つめているのでしょうか…?

さにあらず、それは仏像の彼方を見つめているに違いありません。

それはこちらから向こうへの架け橋でもあります。

いつも私の稚拙なブログを読んでくださる方達…

暖かいメッセージやコメントをくださる方達…

世界平和・万民豊楽と共にみなさんの身体健全・心願成就・福徳円満を小さな自坊よりお祈りさせて頂きます。

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合掌

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