私は、今回シャーマンの元を訪れた時にこれだけは聞いてみたい事がありました。
それは、極道の世界に生きていた当時、最後の服役時に読んだ『神との対話』と言う本が、私を自分の内側に目を向けさせ、霊性に目覚めさせた一つのキッカケだった事は間違いありません。
しかしながら私はまだまだ掴み兼ねていたのです。
「自分は何の為に生まれて来たのか? 」
「私が今世に生まれてきた人生の目的とは何なのだろうか?」と…
バリを訪れた頃は、真言密教やチベット密教にも興味が湧き始めていた頃で、密教寺院で修法されるお護摩にも通い始めていました。
チベット密教の高僧による潅頂の儀式に参加もした事もあります。
また、自分のエネルギースペースを守る(結界)事にも何かしら重要な意味を感じ、空間を浄化する作用のあるパワーストーンや密教法具なども購入し始めていた時期でもありました。
ですが、れだけでは何か満たされぬものを感じていたのです。
自分の本質に至る道…『真の自分』を表現し生きる術というものは、こうした事に意義を見出だし、縋るだけでは辿り着けない様な、漠然とした不安を感じ始めていたのです。
人の教えや情報に振り回され疲れを感じている自分もそこにありました。
こうした思いいから私は、このバリのシャーマンから答えを引き出したく「私が、この現世に生まれてきた目的は何なのでしょうか?」と尋ねたのです。
シャーマンは目をつぶり一呼吸おいた後で、マジマジと私の顔を見つめたかと思うと…
通訳の奥さんいわく「あなたは今世は楽しむ為に生まれて来た!」と答えるではありませんか!?
この答えに私は正直なところ面食らってしまったのです。
私の今世の人生に何か特別な意味があると言って欲しいと、そこに期待する自分がいなかったと言えば嘘になりますが…
『楽しむ為に生まれて来た』とは一体どういう意味なのか!?
刹那的な感覚で生きていた極道の頃ならいざ知らず、今さら「楽しむ為に」とは…
前の生き方に逆行するかの様に言われている様で…
シャーマンの答えが、責任の無い気楽なものにさえ思え、一瞬カチンと来てしまったのです。
するとこのシャーマンはそんな私の心の動きを読みとったかの様に…
「今、私があなたにそれを話せば、あなたに強い影響が出てしまう事になる…だから詳しくは言えないが、あなたは私の言う意味をハッキリと自分で理解する日が来ますよ。」
と…私に諭す様に話すのでした。
「あなたはパワフルな人だが、常にバランスを心掛けるといいですよ」とも…
私はこれを聞いた時に内心「うーん…要するに自分の仕事と自分のプライベートのバランスを取れと言う事か…。」と少し腑に落ちた気持ちにもなったのでした。
そして、後は人間関係の事などを幾つかリーディングして貰いましたが、それはどれも驚くべき正確さと言うべきもので、国の言語の違いを超えて、はっきりこちらに伝わるものがあり…
今後の自分に参考になる内容ばかりだったのです。
こうして私はガイドの方と共にシャーマンの元を辞したのですが、帰りの車中でも『楽しむ為に生まれてきた』と言うその言葉が、しばらくは耳から離れなかったものです。
私は今…この時にシャーマンが「今世は楽しむ為に生まれてきた…」と私に語ってくれた言葉を理解する事が出来ます。
一見、どの様な解釈も成り立ちそうな言葉ではありますが…
しかしながら、今の私にはハッキリと胸に通る事があります。
私はバリから帰国後、仏教に対する興味が益々募り、結果として真言宗の寺院で得度し、僧侶に成り、気功やヒーリングやクレアボヤンス(透視)も学び始めるのですが、その過程で…
まざまざと自分のエネルギーを、他者にも指摘され、自分自身でも知る事になります。
私は前の記事にも書いた様に…
ある時は、戦国時代の侍として合戦の指揮官をしていた過去世の自分の姿…
ある時は、戦というものに嫌気がさし、出家し、僧侶として被災にあった町や村を供養して回った自分…
また修験者として山を駆け、自分の中に神を顕現して見せると、高い崖から飛び降り、大ケガをしてしまった荒行に挑む姿…
ある時代は密教僧として、またある時は禅宗の僧侶として、厳しい戒律に従い生きていた自分の姿…
またある時は、力のある神道系行者として、手かざしをし人を癒す事により、多くの信者を獲得し、支配を及ぼしていた自分…
こうした過去世の姿は、二百あるとも三百あるとも言われる中の数例にしか過ぎないに違いありませんが…
不思議なもので、リーディングし、人の過去世を見る時…
その方の現在置かれている状況や、その時の自分が持つエネルギーに似た前世にフォーカスする事が多かったりもするもので…
こうした自分自身の過去世を、他の霊能者の方に見てもらったり…(何の関連もない霊能者それぞれから、同じ時代の同じ姿の前世を指摘された事が何度もありました。)
瞑想時など、自分自身でそれを見る時、私はそこに今の自分に向けられたメッセージがある事に気づき始めたのです。
それは例えば、武士や僧侶や行者の前世、そして今世では極道としての人生も経験している私です。
一見今世とは対極とさえ思える過去世での生き方…
しかしながら、権威付けや苦行や修業、自らに課す厳しい戒律と言うものを考える時…
そこから今世にも投影されているものがあると認めざるを得ません。
また私が極道だった頃は、一朝事ある時は、自分の順番が来ればいつでも、組織の為に、盃をもらった親分の為に長い懲役に行く覚悟…
そうした一般社会とは隔絶した世界観や掟を自らに課していたのです。
ヤクザになる人間の考え方も色々で、誰しも必ずしも極道で生きている事に何らかしらの信念を見出だしている訳ではありません。
一般の方から見れば、極道やヤクザというのは、犯罪集団、反社会的団体にしか映らず
「ヤクザごときが何の信念だ!金の為なら何でも悪事を働くのがヤ
クザだろう、綺麗事を抜かすな!!」とばかりに…
日頃より腹立たしく思っている方も多いのかも知れません。
最近では、相撲の世界で野球賭博が蔓延し、関取の一人が暴力団からその件で恐喝されていたと報じられていましたが…
私は詳細は知りませんが、本来博徒(バクチ打ち)が、客である人間を、非合法な賭け事をしているからと言って、それをネタに恐喝するというのは、私が極道をしていた当時の常識では考えられない事でもあります。
それだけ、当局の締め付けが厳しく、ヤクザ渡世にいる人達の中には、明日の家賃も払えず、食うに困り、仁義も筋も道理もクソ喰らえ!とばかりに…
掟破りの破廉恥な行為に走ってしまう人間も多いのかも知れません。
私がヤクザの世界に居る頃にも、そうした司法の極道社会に対する峻厳なる兆候は十分に予感された事でもありました。
しかしながら、今回の相撲界の事も、アセンションと言われる地球規模で進んでいるエネルギーの変容の一端を現すものなのかも知れません。
政界は今さら言うに及びませんが、国内から世界に至るまで、不調和のある部分など、今後益々、その姿が浮き彫りにされ、天変地異などの事象と共に、私達にその姿を見せつける事は続いて行く様な気がします。
【つづく】