人の陰口、悪口はその場限りの潤滑油、されど我が身を焼く業火となって帰ってくるものと知れ!

人の悪口、陰口に同意を求められる事があるのも人の生きる娑婆。されど姑息な人間と云うのは、舌の根も乾かぬ内に悪口の相手と仲直りしておきながら、親密さを増したい欲求から自らが撒いた陰口、悪口の場にいた人間をも『今だから言うんだけど、実は○○さん貴方の事をボロカスに言ってましたよ』などと、攻撃の対象として投影し自らの心象を良くしようと利用するもので、

こうした傾向というのは意外なもので、割と普段は周りから人が良いと評判の八方美人的な人間にも見られる事で、言った言わぬでとんだトラブルに発展する事があるものです。
(安心して悪口に耳を傾けられる相手なのか?聞いたが為にとんだとばっちりを喰らう相手なのか?普段よりの見極め距離感が大切な事は言うまでもありません)

私が極道当時なども『吐いたツバ飲むなよ💢』とばかりに人の中傷や『ヤクマチを切る』(悪口を言う・隠語)場面に私が同席していた事からこちらを畳み込む様に詰められる事があったものですが、こうした時、たとえ身に覚えがあったとしても、そんな事でチマチマと言い訳したり四の五の弁明している様ではヤクザが務まるはずも無く(笑)目の前にいる相手と裏切りに等しい画策をした悪口を発した当時者と瞬時に縁が切れる事を覚悟した上で『だったらどうした?けじめでも取るのかこの野郎💢』と開き直り、悪口を言う当人こそが揉め事を作り諸悪の根源と逆ネジを喰らわせた上で相手を承服させ、巻き込み、逆に徹底的に追い込むというのも一つのセオリーでもありました。

そんな私も今では坊主、こんな荒療治なやり方は放棄して久しいものがありますが(笑)今となっては、人から悪口や中傷の類を聞かされても同調して火に油を注ぐ様な事を慎むのは勿論の事、傾聴から淡々とご意見させて頂くのがせいぜいのところでもあります。

でも、一般の方からすればそれが友達だったり、社内の同僚や上司や部下だったり、ママ友だったりと、様々なシチュエーションもある上に杓子定規に人の悪口を聞かされたからと『それ違うよ、やめなよ』と否定出来ない雰囲気や力関係、馴れ合いもあったりで、後々トラブルに発展せずとも、この場にいない人の悪口や陰口を聞かされてげんなりと疲労困憊で帰宅される方も多いのではないかと思うものです。

そうした場からとっとと離脱、エスケープ出来るならそれが一番ですが(笑)そうも行かない場面でも決して心にも無いお追従的な同意の言葉は吐かない事が肝要です。こちらを向いて同意を求める様に話す相手にも微かに微笑を湛えるお地蔵様の様に(笑)同意するのでは無く、貴方の話は聞いていますよという観点から微かに頷く事はあっても、コメントを求められれば

『へえー、そうなんだ』

『そうなの?私はあの人の事良く知らないもんだから』

『僕は分からないから何とも…』

などと、白黒つけず、煙に巻く様に自分自身の思う言葉で答え、話題を変えてしまう、もしくは相手が固執し頑固な様子なら負のエネルギーにしてやられぬ内に理由をつけてでも退散するのが賢明というものかも知れません。

また、自らの日頃よりの思考や想念の集積が原因の場合もあり、これに気が付かぬ人が多いもので、自らにも『人の不幸は蜜の味』とばかりに人の幸せを妬んだり、人の不幸を願ったり、憎しみを募らせる相手がいたりすると、またそれが同心円を描く様に自らの人間関係にも波及投影され、人の悪口や陰口を言う人間に出くわすというのも、自らの影法師を見せつけられている場合もあり、あまり頻繁な様であれば、日頃よりの自分の思考パターンに問題は無いのか?固執するものが無かったのか?と省みて気持も新たに襟を正す事も大切な事と言えそうです。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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