弘法大師空海の言葉・免許センターと仏教

【大日経・開題より】

仏は忍辱の鎧、精進の甲をもって、持戒の馬に乗り、定の弓、恵の箭をもって外には魔王の軍を摧き、内には煩悩の賊を滅ぼす。故に仏と称すなり。

【意味】

仏様は忍辱(心を和らげ耐え忍ぶ)という心の鎧を着け、精進(目的に向かってのたゆまぬ努力)という甲を被り、持戒(忍として守るべき法律や道徳の法則を守る)の馬に乗って進み、禅定(心を静め、平和におだやかに落ち着いている)の弓を持って、智慧(正しく冷静で、明るい判断力に依り正と邪を分別する)の箭で射て、外には悪魔の軍勢を打ち破り、内面からは迷妄の賊を滅ぼしてしまう。それゆえ仏様と云うのである。

免許の更新など、鮫洲から新設された江東試験場に行く様になって久しいものがあります。違反があると午後からも違反者講習などもあり、なかなか帰してもらえないものですが(笑)あくびを噛み殺しながらでも職員による交通規則や違反、事故のケースなどに聞き入る人の姿を見ていると、

ダンプの運転手風情の男性やすっぴんで来ている水商売で働いていると思われる女性、夜勤明けなのか?警備会社の制服そのままで来ている男性など、広い教室ながら人間の生活感が交錯している様で元より人間ウオッチングが好きな私には楽しいものがあります。

交通事故の悲惨さや状況を統計などを用いて説明を受けたり、スライドやテレビで見せられたりと、しっかりと安全運転、交通規則の遵守を誓う場とすべきところですが、喉元過ぎれば何とやらで(笑)免許センターを出た途端に悪癖引き戻す様に我流な運転に戻ってしまうのも人間というものかも知れません。

極道当時など、この免許の更新など講義を聞いているだけで眠気を催し退屈で仕方ありませんでしたが、僧侶になってからは教壇に立ち講義をする職員の言ってる事が、心の持ち様にアプローチする仏教とかぶるものがあり、有り難く高僧のお法話を頂戴している様なつもりで聞いていると不思議と眠くもならないものです(笑)

飲酒や危険運転などの注意や罰則は別としても、要するに

怒らない

焦らない

驕らない(運転上手いとか)

疲労しない

などの精神論を事故のケースに照らして話している様でもあり、初めの三つは心の在り様、最後は肉体上の注意でもあります。

我々僧侶の修行法として六波羅蜜(ろっぱらみつ)というものがあります。その徳目と呼ばれるものと先に挙げた交通安全の項目とが当てはまる様でもあり、下記に私の極道当時の運転に於ける無軌道ぶりと共に書き記すと…

一、檀(だん)
(他人のためになることをする。共生、ゆずりあいの精神)

 

極道当時など、車間距離を取って安全運転をするのがダサいと思っていました。当時、私の運転をしていた若い衆など私の機嫌次第で『お前も不良の世界に生きても親孝行しなきゃダメだぞ』なんて殊勝な事を言われた舌の根も乾かぬ内に『何チンタラ運転してんだこの野郎💢前に割り込まれてるじゃねえか、馬鹿タレが💢』と怒鳴られる始末で、たまったものではなかったと思います😆💦

二、戒
(法令を忠実に守る)

極道当時、高速道路ではスイチでの追い越し車線、スピードも平均速度150キロ走行、渋滞時は路肩を平気で走っておりました。

三、忍
(焦らない。おごらない)

これなども運転席に座った時から街道レーサーにでもなったつもりかの様に(笑)追い越されれば追い越すといった様なヤクザ特有の報復の原理がしっかり運転にも沁み込んでいたと思います。その昔、その道の偉い方が『渡部(私)のモナコグランプリ張りの運転は寿命が縮まる様でたまったもんじゃない💦』と愚痴をこぼしていたそうです。

四、進
(常に注意力を集中して運転する)

極道当時など、集中はしていたかも知れませんが、前出の通り非常に攻撃的な運転にそれは発揮されていたと思います。ただし、お年寄りの車、子供を載せた車に対してはゆずりあいの姿勢はあった様に思います。

五、禅
(感情に幻惑される事なく怒りを静める)

極道当時など瞬間湯沸かし器の様でもありましたが、運転は人の命を奪う凶器との認識はあり、自ら運転する時はとりあえず冷静に切り替えはしていた様に思います。

六、恵
(物理的にも心理的にも正しい的確な判断をする)

極道当時など運転時の事故やトラブルなどに於いて、こちらが有利か不利かの判断など、瞬時に巡らせていた様に思います。今年に入ってからの寒い時期、運転していたところ交差点に赤信号でナビゲーションを食い入る様に見たまま進入してきた女性が運転する車に真横から追突され、後部ドアなど大破したものでしたが、人身事故にせず、ドアを交換してもらい板金塗装をしてもらうのみで済ませたものです。

不良の世界に生きていた当時なら事故は金の種(今は暴排条例諸々でヤクザが圧倒的に不利)人身事故にして、入院から何処かの会社のダミーを用意して休業補償から示談金、挙げ句の果ては新車まで算段したかも知れませんが、そんな私も今は坊主、あくどいペテン(悪知恵)が全く働きません。

むしろ、事故を起こし親や兄弟に迷惑ばかりかけてきたとさめざめと泣く車をぶつけてきた女性の話を傾聴していたものであり、他人事の様ではありますが、人というもの変われば変わるものです。

心の平和から安心、安全を説く仏教は交通安全にさえその根幹を為すものと言えるのではないでしょうか?

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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