☆ノイズからの脱却・孤独を怖れる事なかれ!

私はよく『孤独力が無ければ何も成し遂げられない』と言わせて頂いたりします。
今の時代、孤独などと言うと、ぼっちを気取り、自分の殻の中に引きこもり、人との関係性を閉ざすかの様なイメージに置き換えられているものさえ感じたりするものですが、私が言うそれはそうではなく、人や社会との関係性や協調を失う事無く、柔軟に対応する能力を維持しつつも、なおかつ孤独、一人になる事を怖れないと云うものです。
現代に生きる我々人間は日々、膨大なバイアスやノイズ、適者生存の競争原理にさらされており、常に何かをしていなければならない怖れに突き動かされるものです。
『常に人と関わっていなければならない』
『友達に囲まれ仲良しでいなければならない』(SNS対策で仲良しのフリも往々にあるのでは?笑)
『休日には何処かの行楽地に行ったり、イベントに参加して美味しい食べ物の写真をUPしなければならない。○△さんの優雅ぶりに負けてられない!』
『自撮りは補正加工し盛ったもの以外はUPしてはならない(笑)くびれ引き伸ばしとアンバランスなのは仕方がないか…』
『仲良しさんの投稿には必ずいいねをつけなければならない。また相手もそうあるべきだ、常識あるならば』
『仕事が忙しいフリをしていなくてはならない。センセ、センセなんて言われて、実はコンビニでバイトしてるなんて今更言いづらいし💦』
『高収入、高学歴の雰囲気をそれとなく醸し出さなくてはならない。さり気なく、嫌味にならぬ程度には』
『家庭円満、パートナーとの愛に満ちたシーンを常に投稿しなければならない。実際、あと半年もつか分からないけども💦ツインソウルとか散々言いふらしちゃって、別れたらカッコ悪いよね。まあ別れにも前世からの深い意味があったなんて、スピな解釈まぜこぜでごまかすか、ポジティブ、ポジティブ!』
『ママ友の輪から仲間外れにされない様にしなければならない。着るもの、話題に至るまで、うーん、疲れる💦』
『私が特別である以上、子供も学歴優秀や生まれながらにしてのスピ能力ありなど、特別とのイメージを打ち出していかなければならない。みんな多少盛って脚色してるよね?』
『俺は霊能者として神仏や霊の声を伝えていかなければならない。動画もバズってきた事だし後戻り出来ない、たとえデッチあげたそれでも💦』
等々、多少皮肉なジョークをまじえた内容ですが(笑)ネット社会の現代らしくSNSを絡めた視点からだけ見ても、これに類した縛りを感じている人は案外多いのではないでしょうか?多少は盛ったり脚色があったり、軽度のライバル視などは御愛嬌と言うものですが(笑)それも度を過ぎれば心を失うものです。
常に人の評価に身を委ねる様な飢餓感が生じ、人にどう見られているか?と云う事ばかりに意識がフォーカスし、相手から思う様な反応を得られなければ怒りを感じたり、落胆したり、嫉妬を生じさせたり、自ら投影した影法師に幻惑され踊らされるのも人間と云うものです。
エネルギーレベルで言えば、あっちにフラフラ、こっちにフラフラと人のオーラの中に出たり入ったりと、自分の空洞化とでも云うべき状態となり、こうした時期と云うのはカルト教団、自己啓発やスピリチュアル、怪しい投資セミナーなど、何らかの教師の影響下に入り安心を得ようとする傾向なども見られるもので、
自我(エゴ)が免罪符の様に囁く学びを建前に常に何らかの団体やサークル、セミナーに身を置くなどして、本題である学びや気付きよりも、共感や馴れ合いにばかりプログラミングされてしまうもので、やがて過干渉などのトラブルから人間関係の破綻を経験するのも因果法則そのままでもあります。

私は元来負けず嫌いな性分なので(笑)アメブロやフェイスブックを始めた当初などはかなり同業の方に刺激を受け、何クソ💢と発奮したものでしたが(笑)しばらくしてより、自分の書きたい事、投稿したいものをUPすると決めたもので、それに対するレスポンスがあれば嬉しいものの、無ければ無くて良しと、頭を切り替えたところ、とても気持ちが楽になったものです。もっとざっくばらんに言えば、人がどう思おうと書きたいものを書き、投稿したいものを投稿すると云う感じでしょうか。
勿論、そんな中でも自らに課している事や戒めとしている事はあるもので、たとえばヒーリングやセッション、加持祈祷のご感想などを頂ければ有り難くセッションやお加持の実例としてUPさせて頂いても、自分が神仏の力を宿しているとか、高次で特別な存在であるなどと、語った事も無ければ書いた事も無く、それがヒーリングや加持祈祷でも、ただ、触媒、水路、導管、道具としての働きに徹するものと心がけるそれがあるばかりです。
高齢者の多い足立区、私のところの近所など、空き家が数件あり、年を追うごとに増えている感もありますが、主のいない抜け殻となった家というのは、見ていて朽ちるのも早い様な気がするものです。それと同様で、自分の中心におらず、人の思惑や評価にばかり自分を委ねる人間は、氣が枯渇し滞りを生み家人のいない空き家同様、病気になったりトラブルにも遭いやすくなるのではないでしょうか。
人の顔色や思惑、評価ばかりを気にして地に足がつかぬものを感じている方など、そもそも人はこちらに構ってなどいられない生き物であるという事、ましてや衣食住の面倒を見てくれる相手でも無し(夫婦等は別)何かと苦痛や居心地の悪さ、制限制約を感じている相手や何らかの集まりならば、とっとと離脱する、フェイドアウトするのが健康の上でも精神衛生上も得策と言うものかも知れません。
仲間外れなどを怖れずにこうした決断をする事で、自由な時間も返ってくる上に人に委ねてしまっていたパワーを取り戻す事も出来、無駄に振り回されたり、無為に時間を過ごしていたパターンなども俯瞰出来る様になり、一人でいる時間の大切さ、孤独を楽しむ事も出来る様になります。
合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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