波乱万丈、いったいどこからどこまてがそうなの?雑感私記

よく何らかのスピリチュアルな仕事に就く上でこれまで波乱万丈な生き方をして来たわけでも無し、要するに人の気を引くネタに乏しいと言う意味の事を言う人がいます。

私なども極道から坊主になった事から波乱万丈と見なされる事が多いし、実質その様に生きては来たけども、だからと言って波乱万丈な生き方をしてきた人間が偉いわけでも何でもありません。

リアルな過去や過去世にまで遡その人間の業(カルマ)が人生に於いて経験させられるものとして浮上してくる事に於いて人は五分と私はいつでも考えます。だから苦しみの最中、様々な要因から葛藤を感じても先送りし学び損ねたレッスンが今目の前に来ているものと特別視せず、課せられた業務を淡々と穏やかに理性的に行う視点、視座を養う事が大切な様です。

波乱万丈と言ってもピンからキリまで。

惨憺たる塗炭の苦しみの連続もあれば、サクセスストーリーに転化出来るものまで、似たパターンはあっても、同じ人生を生きる人は誰一人いません。

『私はこれまで正仙サンの様に波乱万丈な生き方をしてきたわけでもないし😆ブログに何を書いて良いのか分かりません💦』などと言う方などのお話しもよくよく聞いて見ると、立派に波乱万丈な半生を生きてきたと思えるケースも多かったものです。

お釈迦様が苦の娑婆(苦しみの世界)と看破した私達の生きるこの世界、それがドラマチックであったり、人知れずなものであったり、起伏は少なくとも継続的であったりと、そこにパターンの違いこそあれど、逆説的に言えば誰一人として波乱万丈から逃れ出る事の出来ない世界の様な気がしてなりません。

波乱万丈を自らを売り出す商材としてPRの種として活用するのは大いに結構な事だと思いますが、問われるのは『今どうなのか?その生き方から何を学びどの様に活用しているのか?』と言う事であり、波乱万丈を語る輩の中にはそんなワードの上にあぐらをかき、相も変わらず中身も波乱万丈で、人様に迷惑をかけている事にも気付かぬそんなケースもある様で、自らの戒めとするところです。

私が過去に生きた極道の世界、幼少期から両親の離婚など貧困と共に片親で育った者、両親がおらず施設で育った人間、親からネグレクトや暴力を日常茶飯に受けて育った人間も多かったもので(稀に裕福な家庭の一人息子の様な人間がまぎれこんでくる事も)不良少年から裏社会に身を投じるのが必然と思える人間が多かったものです。

でも、同様に幼少期から様々な苦しみや試練の連続、不遇な状況に出くわしても挫けず、ヘタレる事もせず、ましてやドロップアウトする事も無く淡々と地味にでも地の塩の様な生き方をされている人もいるのです。

私自身も年齢と共に内面のシフトの影響もあってか、裏社会に生きた人間の武勇伝などと言うものも突き詰めれば大きく人を傷付けた事に繋がっている事にフォーカスさせられるものがあり、それをさもありなんに美化し自慢話しとするのも自我の為せる業と、そんなところに郷愁や驕りを感じている様では半人前と、この十数年、自らの内面のクリアリングを怠る事なくつとめてまいりましたが、そんな甲斐もあってか、セッションや加持祈祷もプライベートに於いても確信と穏やかさとなってフィードバックされているものを感じる事の多い愚僧であります。

合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰

かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。

あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に

愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。

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