神社やお寺との相性を言う人は世間に多いもので、自らの傲慢さや意地の悪さには目を瞑ってご利益一途な神仏を求める人も願い叶わなければ、『相性が悪い』挙げ句の果ては『神社の氣が悪い』などと理屈を付け、拝む先をさっさと変えたりもします。
手を合わせ拝んだ先から嫌な事があったりすると、縁起が悪いと神社やお寺、祀られている神仏さえに対しても忌む様な気持ちになるのも人間ですが、祈りに反転する様に起きる不快な状況も、エゴを通して見るから不快なだけであって、自らに慢心や怖れがある事、取り組むべき事から目を背けている事など、気付きや学びをもたらしている場合も多いものです。
お不動様で親しまれる不動明王を外敵や災難から身をまもる存在として信仰する人は多いものですが、『煩悩のままに邪は無かったのか?』『言葉や行為で人を傷付ける事は無かったのか?』『自らを毒す事は無かったのか?』と、半眼開いたその眼は、拝む人間の内面を見据えている眼でもあります。
合掌