それが自分の信じる神や仏や天使、アセンデッドマスター、なんでもいい。
自分に向けられた啓示やガイダンスにシンと心を落ち着け耳を傾けてみてもそれはなかなか聞こえてこない(笑)
でも、それならばそうした高次の存在が日々自分に求め望んでいる事は何だろうか?と胸に手を当て考え実際その様に行動し生活して見る。
脱線もあるだろうしブレも当然生じるかも知れない。快、不快の波や様々にも投げ付けられるサプライズにも変わりなくむしろ一層激しさを増しているかの様に感じる事も。でも、思考や押し出される言動にも注意を払いつつそうした事を習慣とする時、やがて自分の信ずる存在のサポートやガイダンス、訂正さえもがもたらされているのでは?と思える出来事や内面の感覚がポツリポツリと現れ増え始めている事に気付かされたりするもので、
『肉体が全て』と幻惑したい自我(エゴ)の抵抗も当然そこにはあり容易ではないものの、思考を見張り習慣として行く時(瞑想などの活用も)いつの間にか日々の出来事に左右されぬ、思わしくない事象に出くわしたからと人や出来事を呪うでもなく、信ずる存在への信頼が芽生え、また信頼を勝ち得ている安心に揺るぎないものが確立されている人と言うのは雰囲気や発する言葉にもそれが現れていたりします。
神仏や高次と言われる存在の関心を引き付け自分だけの特典やギフトに憧れる人は多いものですが(笑)自らの内面を律してそれらの存在のガイダンスやサポートが追い付く様に仕向ける人は少ないのかも知れません。
合掌