期待を手放す生き方と言うのは仏教的ではありますが、それは人間関係諸々とらわれる事なく生きる為の心の処方でもあります。いつの間にか人と言うのは自らの立ち位置で人を吟味し思う様に行かなければ感情を害したり怒ったりで挙げ句の果ては自らの思い通りにコントロールしようと躍起になるもので(笑)
そこに相手の為だとか色んな自分なりの理屈をつけるものですが機能しない事また多く、益々傷を広げてしまったりもします。そう、人は自分の思い通りにならぬ生き物と理解する事が大切で、時に流浪する自分の心にさえ手を焼くのに何で人を思うままに扱えるものかと心得ておくが肝要の様です。
書店では競争社会を勝ち抜く為に心理学的アプローチから人の心を操る技法を扱った本なども人気の様ですが、これなども部分的には効果を発揮しても行き過ぎればカルマを作り自らが謀る様に謀られ人間関係の破綻となって投げ返される事必定です。
根っこの部分でお互い自由だと理解しておく事です。例え親子であろうとも。これが芯にある親御さんと言うのは子供に何があっても動じない強さがあります。何故なら全てが本人が体験すべき気付きの芽、学びの芽である事を理解しているから…過干渉する事なく本人に考えさせ結論を出させる事を尊ぶもので、端から見たら歯痒いものであっても、真の優しさと厳しさを持って接してくれていた事をやがて子供は理解し感謝する日がきます。
責任や幼少期の躾を放棄すると言う事ではなく、こうした視点や視座があると子供の成長に即して柔軟な発想や対応が出来ると理解されると良いかも知れません。
どうぞ今日も佳き一日をお過ごしください。
世界の生きとし生けるもの全てが幸せであります様に
合掌