☆神社探訪・虎ノ門金乃比羅宮へ

 

一昨日は節分、全国の神社では節分祭(せつぶんさい)、お寺では節分会(せつぶんえ・せちぶんえ)が催されたところも多かったのではないでしょうか?
平安時代の武将渡辺綱の鬼退治の伝説からか渡辺姓(わたなべと読む姓全て)の者は鬼に嫌われている事から豆まきをせずとも良しとする言い伝えなどもあり、毎年節分の時期になるとお客様などから「正仙サンの所は豆まきなどせずとも良いからいいですね!」(渡部姓なので)などとからかわれてしまうものですが(笑)自坊も鬼より怖い形相の大元帥明王を奉じている事もあってか、なかなか鬼も寄り付きずらいものがあるかも知れません(笑)

そんな節分の午後、昨日は港区虎ノ門ある金刀比羅宮(ことひらぐう)に初めて参拝に訪れました。新橋や赤坂にも近い都心らしく高層ビルの建ち並ぶ谷間にひっそりと佇むかの様な神社でありながら、近未来が交錯する様なスペースを感じさせ、それでいながら違和感なく良い氣に包まれた神社でした。ビルの谷間から綺麗な陽の光が射し歓迎を受けたかの様な気がしたものです。

 

境内に隣接する金運アップで知られる喜代住稲荷神社や縁結びの結神社なども人気がある様で(小さなお社の前には縁結びを願う人によって結ばれた赤い紐がびっしり)何を祈念するのか?真摯に手を合わせる人の姿が印象的でもありました。
古くは『金刀比羅大権現』の名前で親しまれたこの神社、神仏習合の名残りを感じさせるものがあります。1660年の創建と歴史も古い神社ですが、神社を囲む高い建物を見上げている内に、いにしえの時代から戦前、戦中、戦後と変わり行く街並みと訪れる人の姿や想いの記憶された場と言う神社の一面が、不思議な感慨と共にフィードバックされる様なそんな気がした愚僧であります。

帰りには『あら川』で美味しいうな重と肝焼きを頂きました。
【御祭神】
讃岐国の金刀比羅宮と同様、大物主神と崇徳天皇を祀る。
【大物主神】
三輪山に鎮座する大神神社の主祭神として知られる大物主神ですが、こちらの大物主神は讃岐の金比羅宮からの分霊とされています。
【崇徳天皇】
平安時代末期の第75代天皇。菅原道真公や平将門公と並んで「日本三大怨霊」と称され「日本三大妖怪」の別名などもある様でそれだけ効験あらたかなものがあるのかも知れません。
【創始】
※金刀比羅宮ホームページより転載
当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。
             合掌

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密教僧侶ヒーラー正仙
元ヤクザ組長から密教僧侶ヒーラーになった男
真言宗・大元吉祥堂・堂主・ヒーリングルーム吉祥・主宰かつて極道の世界に身を投じていたが、獄中にて
スピリチュアルな気付きが始まり、出所後堅気になり、
その後真言宗僧侶と成る。あたり前に生きる事が難しい今の時代、
自らを不安や恐れと言う闇の中に囲い苦しんでいる方達に
それぞれの方が本来持つ、
あるがままの素晴らしい光や輝きに気付いて貰える様に愛を基にしたパワフルなヒーリングやリーディング、
講演を心掛けて行きたいと思っています。
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