☆羅刹から観音の道へ…昨日のヒーリングセッションから

                                                                      

※ヒーリング時の動画写真、実名等、了承を得て掲載しています。
昨日は午前中より金子礼子さんと長女の恵さんが、吉祥を訪れてくださいました。
私のブログ記事「汚れた顔の天使…ある女ギャングの半生より」で以前にも紹介した他、度々アメブロやフェイスブックで紹介してきている事から知っている方も多いかも知れません。
過去には女だてらにシャブ(覚醒剤)の密売人としてその世界の男達とも五分で渡り合い、その確信犯的な犯罪傾向、刑務官にも反抗を繰り返す反権力的な獄中での体験、波乱万丈な女性としての人生など、「ギャング」の称号に恥じぬかの様な生き様をしてきた女性でもあるのです。
でもそこに至るには不当化のエネルギーを浴び続けたとでも言うべき、幼少期に於ける親からの記憶が飛ぶほどの暴力など、親からの愛の欠如、それは自己破壊の欲求へやがて形を変えるところとなり、覚醒剤を注射し続けた事によるフラッシュバックや精神疾患を後遺症としてきたすなど、ピカレスク小説や犯罪武勇伝の様なカッコ良さだけでは到底すまされぬ負の遺産も背負い体験してきた女性でもあります。
東日本大震災の前年に初めて私にメッセージをくれた礼子さんでしたが、それ以来、どこかしら遠方に住む妹を思いやる様な気持ちで接してきた私でもありました。茨城北東部に住んでいた為震災の被害を受け、余震が間断なく襲う日常がなおさらに礼子さんの感情のアップダウンを激しいものとし、それが攻撃的な文章となって現れていた事などを昨日は歓談の内にも懐かしく話したものでしたが…
でも、それに対比する様に純粋な心根を感じさせるものが文章からは感じ取れ、繊細さを感じさせる詩などもよくブログに掲載していたもので、いつの日か「この部分こそ」が彼女の多くを占める日がくるのではないかと確信していた私でもあったのです。
アウトローに生きる身、天涯孤独を気取り、我が身だけ果てるならそれも良いかも知れません。でも、生き長らえる生がある事に於いて、裏も表も無く、滅びの美学そのままにカッコ良くは終わらせてもらえないのもこの娑婆(しゃば・人間世界)と言うもので、最後は周囲を巻き込み、人間としての弱さや深奥にあるものさえ露見させ、赤裸々な姿がそこにはあるばかりな事は私自身も裏社会に生きた当時垣間見て来た事でもありました。
長女である恵さんに至っては、子供の自分を嫌い虐げる刺青が身体に入った極道と愛し合う母親の姿、笑っていたかと思えば次の瞬間にはブチキレる母親の狂気が強く刻印された様で、幼少の頃よりヤクザが家に入り浸り、親子共に暮らす住まいには、女だてらに薬の密売をする事への警告の様に銃弾も撃ち込まれ、度重なる警察のガサ入れ(家宅捜索)そして母親の投獄、子供ながらに母親を警察に売る事は出来ずとも「いつ捕まるのか?早く捕まればいいのにといつも思っていましたけど、捕まった時は正直ホッとしましたね。なかなか捕まりませんでしたけど 笑」と当時を振り返り笑いながら話してくれたものです。
共に暮らした母親の若き日の姿を振り返り、その破天荒ぶりも娘として体験した理不尽さえも過ぎ去ったものとして笑顔で話す恵さんの明るい声と表情…

時には母親の姿に見たであろう鬼や羅刹の姿さえも自らの内で消化(昇華)させた子供としての強い葛藤もあっただろうに、赦しのレッスンに向き合ったその姿に改めて胸が暖かくなったものです。

礼子さんが私の元に毎年訪れる様になりいつの間にやら何年もの月日が経過していますが、最近に至っては長女の恵さんとの和解と言う人生の大きな吉事もあれば、礼子さんの最も良き理解者としてサポーターとして時には礼子さんの暴力にさえ甘んじ、私のサロンにも何度も来た事のある旦那さんを昨年亡くすなど、人生の明暗を共に味わいつくすかの様なここ数年の礼子さんの歩みだった様です。
でも、今までだったらそんな絶望の淵であれば薬に逃げたのかも知れませんが、一度腹を括れば後ろを振り向かぬ肝の座ったところがあり、この女性独特の死生観もそこに手伝い、心の傷は人である以上当然感じても、穏やかさを尊ぶ心の柱を打ち立てた様で、今ではスイミングやジムで体を鍛え心身の調和も取れ、円満なその姿にかつての礼子さんの波乱に富んだ人生もまるで他人事の様でもあります。
昨日もこの親子二人へヒーリングなどさせて頂いたものです。
ヒーリング時に健康上の事で私の直感に訴えるものがあり少々耳の痛い事も意見させてもらったものですが、案の定、彼女にタイミングなサプライズを喚起した様で、こうしたタイミングでのヒーリングなど絶妙なものがある事に於いて、ハイアーセルフ(内なる神・聖霊)や故人の魂に背中を押されて私の元に来たのではないのか?と思えるセッションなども今まで何度となく経験してきた私でもあります。

 ※頂いたお菓子です。
ヒーリングに続いてお堂に通して二人の健康を祈念しお加持をさせて頂きこの日のセッションは終了しました。駅まで送り背中を見せ雑踏の中に消えて行くこの親子の姿に…前途穏やかで至福のプロセスが降り注ぐ事を祈るばかりの愚僧でした。

                                                                      

 
昨日2階でのヒーリングセッションを終えた後、お堂で加持祈祷法を厳修、最後に錫杖で加持をして差し上げた時の模様です。
お堂に座っている時、炎で炙られている様に身体の芯から熱くなったと話す親子でした。
私などは大元法(大元帥明王法)内護摩修法一本で加持祈祷を行ってきているもので、真言宗や天台宗など一般の密教寺院で火を用いて行う外護摩(げごま)とは違い意念で焚く護摩は淡々と静かなものです。
※内護摩・理護摩
(ないごま・りごま・共に火を用いず意念、観想の中で火を焚く護摩法)
ただ、意念の中では…私の後ろに座り手を合わせる方であろうが、遠方にお住まいの願主さんであろうとも変わる事なく、赤々とした炎やゴールドの火炎で浄化するかの様な観想を第3の眼(サードアイ)でするものですが、こうした事が遠方にお住まいのお客様や願主の方のリアルな体感となって現れる場合も多い様です。
合掌
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