子供の視点は天使の視点…子供に謝る勇気を持っていますか?

 

 
日頃、セッションなどで「子供に教えられる事が多い」と正直な感想を話してくださる親御さんが多かったりもします。
 
「私は親なんだから」
 
「親だからこうであらねば」
 
「私だってこうして親から躾られたんだから」等々…
 
この様な刷り込みは、親から子供へまたその子供へと世間の価値観と共にプログラミングされて行きやすいものです。子供特有のわがままやエゴには親としてしっかり向き合う時があるのは当然としても(笑)ピュアで無垢な子供の視点は、その時々、私達大人が忘れている何かを思い出させてくれる時も多いものです。
 
親子と言えどもスピリチュアルな観点から言えば、この現世では同じ学び手、魂の兄弟でもあります。
 
スピリチュアルな学びを深めるにあたって、若き日の子供への躾と思って行っていた体罰や、八つ当たりの様な叱責が、大きく子供を傷付けていた事に気付かされ、改めて今になって「私も若くて未熟だったけども…」とその時の事を自分の子供に詫びたと話してくださる方が今まで何人もいたものです。これは、親としてのプライドやアイディンティティーに関わる事でもあり、勇気のいる「赦しの実践」と言える事かも知れません。
 
親とは勝手なもので、「わたしが叱った事や叩いた事も子供は理解しているだろう」と自分の都合の良い様に記憶の中で変換したりもしますが、子供の中では癒される時を待つ心の傷、トラウマと化している場合も多いものです。
またそれに加えて、兄や姉、妹や弟などに比べてあからさまな、または微妙な差別を受けた幼少期の体験がそれを色濃いものとしているケースなども見受けられるものです。
 
会社での不快な出来事や配偶者との不和、また何か他の要因から生じる感情のブレ、そこから子供への八つ当たりにそれが転化される時、子供にとってそれは理不尽以外のなにものでもありません。
 
大人になるにつれ段々と複雑さを好み、事態を難しくする傾向さえある私達人間、それこそエゴの好むところでもあるのです。
 
それに比べて子供の視点はシンプルで純粋なものがあり、それは天使の視点とも仏の眼差しと言えるものかも知れません。
 
子供の純粋さ奪う事なかれ、失う事なかれ。
 
合掌
 
 
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