※フリー画像を引用
下記は「神の使者」からの引用ですが、素晴らしいヒーリングの概念がアセンデッドマスター(文中のパーサ)より語られています。
※ヒーリーとはヒーリングを受ける人。
※アセンデッドマスターとは、天界にいる高尚な魂をもつ存在の事。過去に人間としての生を受け地上で生活をした後、天界にて神の観点から私達をサポートし、代表的なアセンデッドマスターとして、イエス・キリストやブッダなどがいます。
※下記の「コース」とは霊性の書「奇跡のコース」の事。「J」とはイエス・キリストの事。
「奇跡のコース」はニューヨーク市にあるコロンビア大学医学部の助教授であった故ヘレン・シャックマン博士は、1965年10月から1972年9月にかけて、イエス・キリストからの霊言をチャネリングし編纂した内容。英題は『ACourseInMiracles』(ア・コース・イン・ミラクルズ)となり、頭文字の『ACIM』としても知られています。
「奇跡のコース」は1976年に出版されてから20ヶ国語に翻訳され、全世界で2012年までに、口コミだけで200万部を突破。
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【パーサ】
患者が相手でも自分が相手でも、スピリチュアル・ヒーリングを実行するのなら、理解しておくべきことがあるわ。
それは患者に関するものではない、って言ったわね。
スピリチュアル・ヒーリングについてのつねに変わらない重要なルールの二つ目はこれよ。
苦痛は肉体的プロセスではない、精神的プロセスである。
わたしたち、ゲオルグ―Georgeではなく、Georgね―グロデックについて簡単に話したわね。グロデック博士は、Jがあなたに言ったことを理解していた。
それどころか、彼は患者の何人かに、あなたの病気の目的は何だと思いますか、と聞いたりしたのよ!
どうして彼は苦しんでいる人に苛立たしい質問をしたのかしら?
答えは簡単よ。彼は患者の心を結果から原因へとただちにシフトさせたの。彼は「エス」と呼ぶもの、それは「コース」で「エゴ」というのとほぼ同じものなのだけれど、それが身体をつくり、自分自身の目的のために身体を利用していると知っていた。
彼が患者に質問したのは、自分は犠牲者だという考えを捨てさせ、自分自身の病むという決断、もっと高いレベルで行われた決断―シフトにそのことを彼は患者に言わなかったけれど―に目を向けさせるためだった。
患者が自分の苦痛は身体的な機能のせいではなくて、自分自身の決断だと考えると、快くなることがあったんです。
もちろん、かたちのレベルではいつも必ずうまくいくなんてことはありません。
もしそうだったら、宇宙は予測できるものになるわ。エゴは複雑で高度に個別的なの。だったら宇宙だってそれ以外ではあり得ない、あたりまえよね。
それでも、限られた範囲ではあれ、グロデックが理解していた。そして「コース」でさらに完全に説明されている癒しの原則は適切なものよ。癒しには概念のシフトが必要なんです。
コースはそれについてこう問いかけ、答えています。
―この概念のシフトにたった一つ必要なものは何か。簡単だ。病気とは心のものであり、身体とは何の関係もないという認識。これである。
この認識の「代償」は何か?
あなたが見ている世界全体が代償である。なぜなら二度とふたたび、心を支配するように見えないだろうから。
【ゲイリー・著者】
罪なき心に苦しみはあり得ない、という話をしたことがあったけど、心に罪悪感が残っていても、痛みをコントロールして、ときには快くなることだってあり得る、ってことみたいだな。
【パーサ】
そうよ。まったく罪なき心は決して苦しまない。でも、教えようというレッスンをいくつか選ぶ可能性はありますけどね。
マスターでない人でも、マスターへの道の途上で心によって痛みを和らげて驚くべきことを成し遂げることは可能なの。
これもJが「マニュアル」のスピリチュアルなヒーラーの患者の部分で言っているようにね。
どんな患者にもあてはまるわ。
―医師とは何者か?患者自身の心、それのみである。結果は当人がこうと決めたことだ。
特別な仲介者や手段が彼に働きかけているように見えるかもしれないが、患者自身の選択にかたちを与えているに過ぎない。
患者が自分の欲望に具体的なかたちを与えるために、仲介者、手段を選んでいる。
患者あるいはヒーラーが聖霊(ハイアーセルフ・内在神)の赦しを受け入れると、その姿勢は次のようになります。
―世界は彼に何もしない。彼がそう考えていただけだ。彼も世界に対して何もしない。なぜなら彼は世界を勘違いしていたから。
ここに罪悪感と病、両方からの解放がある。この二つは一つだから。
その赦しの概念の移行のなかにあなた自身の自由があるし、兄弟姉妹の自由もあるんです。
―あなたが病と見、痛みと見、弱さと見、苦しみと見、喪失と見たものは、あなた自身が地獄にいて無力であることを認めろという誘惑にほかならない。
Jが言っている通り、自分たちが見ているイメージにとりこまれることを拒否する者には―計り知れないほどのご褒美があるのよ。
―奇跡は神の子を癒し、弱さという夢に扉を閉ざし、救済と解放への道を開く。
それでは誰が癒されるのか―患者か癒し手か?赦す者か赦される者か?答えは、両方、だって両者は一つですからね。
だからいつも赦しの姿勢でいることを習慣にすればいいのよ。
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合掌
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