☆ヒーリング私記…ヒーラーは人を救えないのか!?【ご感想追記】

 
 
お正月の間、久しぶりにTSUTAYAにDVDなどを借りに行き、黒木瞳が監督しメガホンをとったと言う「嫌な女」と言う映画を観ました。
 
主演は吉田羊でしたが、普段は殆どTVを観ない私でもあり、この女優さんを初めてTVで見た時など、てっきり「原田知世」だとばかり思い込んでいた私でした(笑)
 
映画の筋はともかくとしても、こんな映画の中にも気付きをもたらす言葉はあるものです。弁護士扮する吉田羊が、同じ事務所の新人の後輩に、弁護士と云う職業に生きる心得を「人を救えるなんて思ってはいけない、弁護士として自分のすべき事をしていくだけ」と言う意味の事を諭す様に話す場面がありました。
 
人を救えるなんて思ってはいけない…
 
 
これはヒーラーにも向けられた言葉の様に私には思えたものです。
ヒーラーと言うと、怪しい動作をして(笑)手をかざすだけがヒーラーだと思われている風潮が世間にはありますが、ヒーラーの定義を「心身の癒しを促す働きかけを行う人」とするならば、ヒーラーと言う職業的概念から少し解き放って考えて見ると、その括りと言うものも、スピリチュアルな仕事に携わる者の全て、医療従事者、宗教家、学校の教師、音楽家、俳優、ダンサー、料理人、画家、風俗嬢etc.と、広大無辺なものがあり、とても書き現せるものではないのです。
 
私はよく「ヒーラーのする事だけがヒーリングじゃありませんよ」と言わせて頂く時があります。
 
例えば…普段は滅多な事では怒らぬ母親が、子供の心が何物かに侵奪される危機をを感じ、涙ながらにビンタをくれて、子供の目を覚ます時、これもヒーリングでもあるのです。
(体罰の容認とは違う観点に於いて)
 
その他にも、仲間外れや迫害を恐れず真実を語る人間の姿や、無邪気な天使性を見せる子供の姿、大自然が見せる美しさや造形などに、自分の癒されるべき頑なな何かを赦し、手放して行く何かを見せられる様な時が人間にはあるものです。
 
まだ、私が裏社会にいる当時、心落ち着かぬ争いの渦中にある時など、頭も良く、仲間意識も強いと言われるカラスが、三羽になって、くんずほぐれつにアスファルトに黒い羽が抜けて散るほどに闘っている様を見た時があります。
誰しにもある聖霊(ハイアーセルフ・内なる神)は、私達の日常、エネルギースペースに現れる動物の姿を通してさえも、その人間が陥っているパターンや、先々起こる経験などを注意として喚起したり、逆に人生に愛や喜びをもたらす祝福の印もそこに映し出してくる時がある様です。
 
いわんやヒーリングと言う事に於いて、ヒーリー(ヒーリングを受ける方)の癒しの過程、プロセスを全て知っているのはハイアーセルフであり、ヒーラーがどんなに自らが培ってきた技法やテクニックを用い様とも、ヒーリーがヒーリング(癒し・変化変容)を受け取るタイミングになければ「それは起こらない」と言うのが真実であり、これは加持祈祷にも全く同様のものがあると私は思っています。
 
こうしたケースから、未消化なものを感じて、結果を求め、無理な施術、ヒーリングを続けて行くとパワーゲームに陥り、相手にも自分にもエネルギーの攻撃を与えているに等しいカルマを作り上げて行ってしまいます。またそうした時期と言うのはさらなる葛藤を生じさせる様なクライアントやヒーリーが目の前に現れ易いもので、「引き寄せの法則」などと言う事ではなく、ヒーラーの気付きと学びの上で、ハイアーセルフがそうしたお客様の背中を押して目の前に連れてくる事も間々ある様です。
 
鳴り物入りでその時々スピリチュアルに生きる人々の心をとらえる新時代を謳うヒーリングのセミナーなども、当初の話題性やオープニングの派手さもどこへやら、その後に於いては様々な制限や縛りを生じさせ、つまらぬ営利団体の如き姿になっている事などを聞くに及び、人の集まるところ、エゴが席巻し幅を利かす事に於いてはスピリチュアルもへったくれもないものを感じるばかりで、これは社寺仏閣にも同様の事が言える様です。
 
新手のヒーリングや斬新と思えるスピリチュアルなセッションの形態を教えるセミナーなどが出てくると「今度は宇宙や神と繋がって力を持つことが出来る!人に評価を受け喜ばれるヒーリングやセッションが出来る!」と多くの方が希望を持ちそこに参加するのかも知れません。それ自体に罪があるわけではなく、向上心の現れと周囲は評価してくれるかも知れません。でも、本当は違うと心の疼きを感じている事は当の本人だけが知っている事でもあります。
 
天の邪鬼な私は、たとえが悪いかも知れませんが…
まるでヒーリングやスピリチュアル関連のセミナーなどの趨勢を見ていると、光輝く新車も1年、2年、3年と経つ内に、色褪せた様に見え、その内に「力が無いから車の一台も買い換えられんのかい!」と見栄と虚勢に裏打ちされた声なき声に追いたてられる様な風潮さえあった事などが思い起こされるもので、でもこれも、力を誇示する極道の世界ならいざ知らず、癒しや気付きをもたらす事を生業とするヒーラーが、自分に確信が持てず、学びやスキルアップの名目で自身に免罪符を与え、飢えを満たす様に新たなセミナーを追う傾向があるとしたなら、エゴの虜になっている事を自ら表明している事に他ならず、何とも寂しい限りではあります。
 
ヒーラーを自認する人でさえ、ヒーリングを部分的なテクニックと誤解している方が多いものですが、ヒーラーの内面にあるもの、気付きのレベルや自らが癒されている事、メンタルやエネルギーに滞りが無い事などはとても大切な事であり、人を相手にする様で自己を相手にしている仕事でもあり、内面に結実しているものはセッションの結果となって見事にフィードバックしてくるものです。
 
そう言う意味に於いてヒーラーは全人的な職業とさえ言えるのではないでしょうか…。
セッションなどで、経済的な理由などから新しいヒーリングの技法を習得出来ないと悩みを話してくださるヒーラーさんも今の時代多いものですが、そんな時私は、まず、欠乏感を癒す事にフォーカスする助言をさせて頂く事が多いものです。日頃より、しっかりとハイアーセルフと繋がり内なる神の声を聞いているヒーラーと言うものは、たとえレイキひとつのお免状しか持っていずとも、見事なヒーリングをするものです。
 
文章にするのは難しいですが、私自身、テクニックを離れ、ヒーリングやリーディング時など、聖霊の決断と台本のままに癒しが起きるものと、自分を脇に置き明け渡す感覚が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされる程に、結果として良いセッションを提供出来る様になっていった様な気がします。
 
でも、私の場合ここに実生活に於いて、エネルギーワークに於いて行う赦しのレッスンが伴っていたのであり(現在も間断なく)感情のままに生きるは人間らしくもありますが、それでは心の平安は得られず岩の上に柱を建てる事は出来ない事、怒りや恐れ、葛藤に心奪われてしまえば聖霊(ハイアーセルフ)の声さえカキ消してしまい、反対の極に自らを投げ入れる様に、エゴにマインドを乗っ取られてしまう事なども、自らの気付きを通して学んだ事でもありました。
 
冒頭の映画での「人を救えるなんて思ってはいけない、弁護士として自分のすべき事をしていくだけ」と言う吉田羊のセリフ…
 
「人を救えるなんて思ってはいけない、聖霊の決断と台本のままにヒーラーとしてすべき事をしていくだけ」と自らを戒める言葉に置き換えたい愚僧であります。
 
以下、私よりヒーリングセッションやグラウンディングセミナーをお受けになられたMさんよりのメールを掲載致します。
 
ちなみに日刊ゲンダイとありますが、この方は女性です(笑)
(o^O^o)
 
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お世話になります。
 
今さっき、病院終わりました。ガン検診は、正常の数値に戻りました(^^)
 
2014年に疑陽性と診断されていたのですが。。。
2014年は、蹴落とされたり
妬み、僻みなどで
一番キツイ身体が悲鳴あげていた状況でした。
細胞は、生まれ変わるからと
医師に言われて、やはり
日々のグラウディングが
重要だなぁと感じました。
 
〇〇さんに紹介されて
ヒーリング、リコネクション
グラウディングなど
受けてから徐々に気力、体力、忍耐力も回復し良かったです(^^)
 
色々ありがとうございます。
今日は、日刊ゲンダイ買って
帰宅します(^^)
 
色々ありがとうございます。
 
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                  合掌

 

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