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下記の文章はゲイリー・R・レナード著、『不死というあなたの現実』より著者とアセンデッドマスターであるアーテンの会話より引用です。
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【アーテン】
※本書に登場するアセンデッドマスター、アセンデッドマスターとは天界にいる高尚な魂をもつ存在の事。イエス・キリストやブッダなどが代表的。 過去に人間として地上で生活をした後、天界にて神の観点から人間をサポートしている。
一つ残ったシンプルな疑問に答える必要がある。あなたがたは自分が作ったものが好きか?
殺人と攻撃の世界、そのなかを常に危険につきまとわれ一人ぽっちで怯えて、死に追いつかれて消えるときがもう少し先に延びますようにと願いつつ、びくびくと歩む世界だ。
あなたがたがそれを作った。それはあなたがたが自分自身だと思う姿、自分自身に対する見方だ。
エゴが充分に解体されたあとになってやっときみたちは振り返り、エゴの思考システムがこれほど狂気じみたものだったと知ることができる。それについてはJ(キリスト)もこう言っているね。
『狂気の信念システムを内側から評価することはできない。距離がとれないのだから不可能だ。それを越えたときにのみ、正気が存在する場から振り返って比較対照してみることができる。その比較対照によってのみ、狂気を狂気と判断できる』。
【ゲイリー・著者】
そうだね、ぼくが身体についてずっと考えていたようなものだな。宿題になっていたところを読んだよ。それからまわりで起こっているいろいろなことを観察した。
人生のなかの、あるいはぼくらが人生と呼んでいるなかのすべてが身体に関係していて、身体につながっているんだね。
試合に勝っても負けても、キャリアで成功しても失敗しても、(ぼくはどっちも経験したけどね)、好きな女の子をゲットしても振られても、有名になってもけなされても、食べ物に(どんな種類でもいいけどさ)飢え、セックスがしたくなり(これもどんな種類でもいいけど)、知らないところに引っ越したり、新しい車を買ったりしたくなり、あるいはただ休みたいな、と思う。そういうすべてのことを獲得したり欲するのは何だろう?
いまあげたどれも、身体がなければ何の意味もないじゃないか?それから悲劇に戦(おののく)とき、ぼくらが見る前で死にかけているのは何なのか?ぼくらは何に対して気の毒に思うのか?愛する誰かが死んだとき、ぼくらが死んだと思うのは何なのか?
いつも身体なんだよね。
身体がなければすべては何の意味ももたない。「夢の英雄」というあの文章はほんとうに真実だね。そして赦せば赦すほど、身体はただの夢の存在に思えてくる。気分が軽くなる。そんなのは自分じゃないと思えてくるんだ。
あんたがたが最初に現れてから数ヵ月、ぼくはリーズの学習グループに参加した。それ以来十一年間続けているんだが、前回出席したとき、グループに入ったときよりもいまのほうが若く見えると常連会員の一人に言われたよ。これはおもしろかったな。誰にでも同じ効果があるとは言わない。だけどすべての思考があるレベルでかたちを生み出すとしたら、赦しもどこかで作用しているはずだよね。
【アーテン】
見事だ。夢にとらわれているあいだは夢から覚めることはできない。夢から覚めれば束縛が断たれる。そして赦せば赦すほど、自分はただ夢を見ているだけだということがわかってくるんだよ。
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合掌