人間と言うのは、どれだけ豊かさに溢れていても、快楽や虚栄で自らの欲望を満たしても、生涯を通じて何かが満たされていない喪失感や寂しさにつきまとわれる生き物なのかも知れません。
私達は自らを取り巻く社会構造から全てに於いて、「肉体こそが全て」とばかりに烙印を押され、自らが朽ちて滅び行く存在であると思い込こむ様にプログラミングされているのかも知れません。
そんな私達人間にはその人に応じた形でエゴの声が囁き、心の平安を乱してくる事に於いて、スピリチュアルな世界の住人だろうと、宗教の大家であろうと、情け容赦ないものがある事に於いて等同でありますが、もし、エゴがこんな事をぼやいていたとしたらおかしいでしょうか?
【エゴの声】
宗教もいいだろう、スピリチュアルもいいだろう、でも、それもお前さん方のたまの気付け薬に過ぎないのではないのか?だってあんたらは、全的にトータルにそうした学びを日常に反映させる気なんかさらさらないんだからまったくもってお笑い草だよ、一部分だけスピリチュアルな素養を取り入れただけで、高みに立ったつもりでいやがるんだからさ…そんな時、資格とかテクニックなどと言うものも、比較やジャッジ、優越感など、あんたらの「特別性の幻想」を強める代物で、おいらたちエゴの格好のエサになっている事に気付いていたかい?
でも、あんた達人間は、人を傷付けても泣かせても潰えさせても、その時々、自分に都合よく神よ仏よ天使様と手を合わせるんだろうなこれからも…でも、手を合わせる場所やその時だけ神がいればいいのであって、あんたらの大半は、家族や日々出会う人の中に神の姿を見出だす事など思いもよらない事だし、まして内なる神や教師がいつも語りかけている事に耳など貸そうとしないし、またその努力もしない…。あんた達は愛する人や親しい人だけにスピリチュアルで愛の為政者であればいいのであって、その傍らで人をイジメ抜いたり意地悪をしても、自分は敬虔なスピリチュアリストやヒーラーでいられると思っているのではないのか?そうした一部の破綻が、やがて全てに伝播し、自分の身に返ってくる事を心や肉体の痛みとして感じるその日まで、大半の人間にとってそれは他人の絵空事にしか過ぎない。
ソウルメイトと出会いスピリチュアルな学びをしたと酔いしれた後でセミナー会場を出れば、さっさと仲良しこよしの井戸端会議で、人の悪口や陰口さえも、あんた達からすれば、スタバで食べるショートケーキほどの重みもない事なんだろうよ…。何度も言うが、自分が特別だと思わせる幻想はエゴのおいらの十八番だぜ、スピリチュアルな世界の住人ほどこの罠に綺麗にはまるものを感じる。あんたらを見ていると本当に面白い、平和運動家の中にはスピリチュアルな世界に生きる人間を平和ボケした政治に無関心な奴らだと決めつける輩もいる。
でもそのジャッジこそが、戦争の根っこにあるものである事など気にもかけないのではないのか?いつの間にか俺は私は平和の為に愛の為にこれだけの事をしてこれだけ汗を流しているが、あんたらはどうなんだ!と自らのアイディンティティーを賭けた闘いに俺たちエゴにそそのかされて踊らされている事に気付かない人間達もなんと多い事たろうか…。
またスピリチュアルな世界を自認する人間の中には問題を問題としてとらえる事の出来ぬ、人間としての適応力に欠けた手合いが多いのも事実で…人間の生々しさを直視出来ずとも、やたら人のエネルギーが綺麗だの、汚いだのの判別だけはご立派で、そうした事にやたら過敏に反応してしまうのも、自らに癒されていない部分があるのが原因なのに、延々とそれを人の姿に投影し続ける事に汲々とするのがスピリチュアルな能力だと、とんでもない勘違いをしている人間だって多いのではないのか?
だから、いいじゃねえか、スピリチュアルなんて気まぐれなその時々だけのふりだけで……聖人君子なんざ釈迦とキリストだけでたくさんだよ、限りあるあんたら人間の人生だ、謳歌しなくてどうするんだよ、ほれ、闘え、争え、ブンどっちまえ、あんたが憎むあの人よりもフェイスブックのいいねのカウントが少ないのだってあんたが劣っている証拠だぜ(笑)人を蹴落としてでも競争に負けるな!でも、そんなお前さんも社会構造に隷属している小さな歯車なんだから、時の権力者の言うことを聞いて、たんと上納金(税金等)は納めるんだぜ!と…
少しばかり辛辣な表現も用いましたが、こうしたエゴの声に翻弄させれられやすい私達人間、豊かさもいい、引き寄せの法則だっていい、でもそれだけではない何かを感じる疼きと言うのは、私達のこの肉体の生が幻想であり、本当は何物(者)をも所有出来ない事を知らせる内なる神の声をとらえているからに違いないのてす。
私は二十歳を過ぎた頃、極道社会の勲章欲しさに抗争要員として各地に潜伏していた時がありましたが、ある時そうした日常から解放された事から魔が差し、多量の覚醒剤を身体に注射し、生死の境をさ迷った時があります。「ジジジジ…」と電線がショートした時の様な意識の混濁音と共に気を失い、ホテルの部屋で倒れている自分の姿を天井からまざまざと見ていたものです。
異変を察した知り合いが、ホテルの人間とマスターキーで部屋の鍵を開け踏み込んでくれたから助かったものの、そうでなければ私は死んでいたのです。その時でも、仰向けに倒れている私を八方に取り囲み何かを囁いていた霊的存在、薄れ行く意識の中で身体が冷たくなり「もう死ぬんだな」と思っていた時、無意識の内に腕が持ち上がり、胸にあるハートチャクラの前で三角の形に印を組み、もの凄い熱いエネルギーが胸に流れ込んできた事など神秘体験もあったものです。
当時は私も見栄と虚勢を張るヤクザの世界の駆け出しであり、こんな体験を人に話せば「薬で頭のテンパッタ事を言いやがる」と侮られかねない事から自らの記憶にも封印をしたものでしたが、でもこの時の幽体離脱して自分の身体を眺めていた時の体験は強烈で、人間とは肉体が死んでも意識は継続して行く事を初めて知らされた出来事でもありました。
人間の死後の世界は国家や民族、宗教観、様々なスピリチュアルな解釈の違いなどもそこに影響を及ぼし、多種多様で、死後の世界を一つの部屋などでは形容出来ない事は明らかですが、それでも人間の意識は肉体を離れても未来永劫継続して行く事を教育の現場で子供達に教えて行く事こそが、たとえ長い時間がかかっても、戦争やテロを根絶し、差別や暴力、イジメを無くし、病気や死への怖れを緩和させる働きの上でも必要な気がしてなりません。またこれを避けて通っていたのでは、片手落ちで条件付きや制限のある、まがいものの平和があるだけで、いつまで経っても弱いものが潰える適者生存のループから私達人間が脱する事など出来ないのではないでしょうか?
下記に引用した文章は、アメリカのコメディアン「ジョージ・カーリン」が、最愛の奥さんを亡くしたときに、ボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用し、友人に送ったとされるメールの一部だそうで、とても心に響くものがあります。
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この時代に生きる私たちの矛盾
ビルは高くなる一方だけれど、人の気は短くなる一方。
高速道路は広くなったけれど、人の視野は狭くなった。
お金はじゃんじゃん使っているが、得るものは少ない。
物は買いまくっているものの、楽しみは少なくなるばかり。
家は大きくなったが家族のかたちは小さくなり、ずっと便利になったのにも関わらず、私たちには時間が無い。
学のある者は増えたが常識がある者はめっきり減り、その道のプロフェッショナルと呼ばれるやつが増える一方で問題は一向になくならない。
薬が増えたのに、病気がなくなる気配はない。
飲み過ぎ、吸い過ぎ、浪費に走る。
それなのにほとんど笑うことはないし、スピードを出し過ぎるし、すぐに怒る。
夜更かしをし過ぎるあまり、朝起きた時にはすでに疲れている。
読書しなくなった分テレビばかり、そして祈ることもめっきり少なくなった。
たくさん物を持つ、その一方で物の価値が目減りする。
私たちはおしゃべりが過ぎる。
愛するということを滅多にしなくなって、いつのまにか憎むことばかりが増えていった。
私たちは生計の立て方は学んだが、生きることを学んでいないのだ。
寿命が増えただけで、真の意味で生きてなどいない。
月まで行けるようになったというのに、隣人とはトラブルばかり。
外側の世界を征服したところで、私たちの内なる世界はどうなんだ?
大規模なことは成し遂げてきたけれど、本当に善いことは未だ達成されていないだろう?
空気を洗浄したぶん魂を汚し、原子核をも支配したが差別は一向に消えない。
たくさん書いているのに多くを学ばず、計画は増えたのに成し遂げられていない。
急ぐことばかりを覚え、待つことを忘れた。
多くの情報を抱えるべくコンピューターを作り、どんどんコピーを生みだしたが、コミュニケーションは減る一方だ。
ファーストフードのおかげで消化は遅く、体ばかりでかくて人格は極めて小さい。
利益利益で人間関係は希薄。
共働きで収入が増えた分離婚も増え、見た目ばかり良い家が増えたけれど、その中は崩壊している。
手軽な旅行に使い捨ておむつ、モラルはなくなり、ワンナイトラブが溢れる。
太り過ぎの体を持て余し、死に急ぐため薬を多用する。
ショールームに物が溢れかえるなか、倉庫は空っぽのまま。
テクノロジーはあなたの元へすぐにメッセージを届けてくれるけれど、読むも読まないも、また消すのだって、今やあなたの指先ひとつですべてが決まる。
今はそういう時代なんだよ。
忘れないで、愛する人と多くの時を過ごすことを。
だってその時は、永遠には続かないのだから。
忘れないで、あなたに畏敬の念を抱く人たちに優しい言葉をかけることを。
だって彼らはすぐに大きくなって、いずれあなたの元を去ってゆくのだから。
忘れないで、側にいてくれる人に温かなハグをすることを。
だってこれがあなたが持っている1番の宝であり、しかもこれをするのに1円もかからないのだから。
忘れないで、愛する人に「愛している」と伝えることを。
そのときどうか、心をこめて。
心からのキスと抱擁は、相手の心をも必ず深く癒してくれるから。
忘れないで、相手の手を握り、共にいる時間を慈しむことを。
だってその人はいずれ、あなたの前からいなくなってしまうかもしれない。
愛するため、話し合うため、そして思いを共有し合うための時間を作って。
そしてどうか、これだけは覚えておいて。
人生は呼吸の数で決まるのではなく、どれだけハッとする瞬間があったかで決まる、ということを。
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合掌