写真は四年前の東日本大震災当日の空です。
私にはまるでその雲が、出口のない暗黒に日本が入ってしまった象徴の様にさえ思えたものです。
地震発生時、私は法衣を着てお堂に居たものでしたが、あまりの激しい揺れに壇上の本尊も総倒れになると思ったものでした。
表からは本震の後に間断なく続く強い余震に「お父さん、こわいよ~!」 「馬鹿~っ!しっかりつかまってろ!」 などの入り交じるかの様な悲鳴や怒号が聞こえてきたもので…
表に出ると、ご近所の方の中には腰が抜けた様に道の真ん中に座り込んでいる方や、地鳴りと共に音を立てて揺れる自分の家を為す術も無く見つめ、茫然自失と立ち尽くすかの様な人の姿がありました。
東京がこれ程揺れる地震ならば、必ず町や地域が壊滅する程の被害がどこかに出ているのでは?と、私でなくとも多くの方が思ったに違いありません。
震度4強クラスの余震がひっきりなしに続く中、刻々と東北沿岸各地での被害が報じられる様になりましたが、まるで自然災害を題材にした映画のワンシーンを見るかの様な、町や村が火に呑まれ、津波で無残にえぐり取られる様に壊滅するその様をTVで見るに及んでは、言葉を失うかの様な無力感があるばかりでした。
私はちょうどこの時期はブログを始めて一年が経過した時で、色んな方との交流が生まれていました。
元極道から密教僧侶ヒーラーに転身した変わり種の私に共鳴してくださり、東北にお住まいの方なども暖かい励ましやメッセージをくださる方がいたものです。でも、そうした方の中には震災で津波が直撃した地域にお住まいの方も…
いつも花や空や美しい四季折々の風景を投稿していたその方のブログは、地震の前日3月10日の投稿が最後となり、二度と記事が投稿される事はありませんでした。
ブログのハンドル名しか知らず、生命の安否を確認したわけでもなく、ただ地震でショックを受けて記事を投稿しない事もあるものと…良き様に解釈し様としても、ヒーラーとしての感覚がそれを許さないものがあり、生体エネルギーがその方から全く感じられなかったものです。
そんな私にとって、この方のブログは主なき墓標の様にさえ思えたのでした。
あれから四年…
強い地震に家から飛び出して「怖い、怖い」と言っていたご近所の方も亡くなったりで時の流れを感じます。
でも…原発の再稼働や放射能汚染の問題など、まだまだ復興には程遠いものを感じるばかりで、未だ22万人もの方が避難生活を余儀なくされ、3千人を越える震災による関連死なども、故郷や住む家を失い、追われた方の絶望を現す数字の様に思えてなりません。
※今日の夕陽
去年、一昨年と、福島の仮設住宅で暮らす方達などへの無料でのワークショップやヒーリングセッションを有志の方達と共に展開してきていますが、未だ深く傷付いた被災地の方の心を癒すべく、今年もヒーラーとして立つべきところへ立ち、すべき事をする事が出来たなら望外の幸せであります。
これより小さな自坊にて、東日本大震災で亡くなられた方の御冥福をお祈りし、追善供養のご祈祷を捧げたいと思います。
合掌