★イジメに明るいも暗いも無いと知れ!①陰湿なのはいつの時代も一緒

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昨日新聞を見ていると、『夜回り先生』で知られる水谷修さんが、川崎の河川敷で中学生が殺害された事件に触れ、子供のイジメが凶悪な犯罪に繋がる前に、親は勿論の事、学校や地域の大人がもう一歩踏み込んでいれば起きなかった事件ではないか?と述べ、最悪の事態にならぬ様小さな異変の芽を摘んでしまう事の大切さをコメントする記事が掲載されていました。

この夜回り先生こと水谷修さんは、そのニックネームの如く、夜の街に立ち、徘徊したむろする少年少女への声かけや、事件を未然に防ぐ為の補導促進などでもよく知られる方で、TVやメディアでも度々紹介されている事から、知っている方も多いに違いありません。

上っ面の教育論などに拘泥する事なく、イジメの温床の場となる学校の取り組みにも問題がある事や、親が見落しがちなイジメを受けている子供のSOSのサインを見抜くことの大切さを説いている方でもあり、温和な口調や物腰の中にも、子供のイジメや非行防止に向けた不退転の姿勢が感じられ、私自身、とても好感を持てる方でもあります。

その記事の中で、夜回り先生が、学校から帰ってきた子供に他人に傷つけられた様な外傷が見られるケースなどをあげて「転んでできた傷と、殴られてできた傷は明らかに違う。警察に連れて行かなくてはいけない」と話す段がありましたが…
これはもっともな事で、転んだり遊んだりして出来る傷と、イジメによる傷とは明らかに違うものですが、悲しいかな、親と言うものは脳裏に一瞬「もしかしてウチの子がイジメに!?」と思っても、「まさかウチの子供に限って…」と、我が子が学校やクラスでイジメの被害にあっている事など認めたくない傾向もあるもので、日頃、親の理想のイメージ画像を子供にかぶせて見ている事から、子供のメンタルの兆候や異変など、イジメの実害にあっている子供の実態を、全く把握出来ていないケースも多い様です。

子供を溺愛するあまり「ウチの子に限って…」と、子供の問題点に目を向けられぬ盲目な姿は、イジメる側、イジメられる側、双方の親に共通する場合も多いのではないでしょうか?

今時の子供は誰がワルく誰がマジメなのか?一見分からぬところもあったりしますが、イジメをフェイクし、引っ隠すのがとても上手く陰湿だと言う方も多かったりする時代です。でも…かと言って、昔は良かったなどと美化出来るものばかりでもないはずです。

「今の若いもんは」などと、いつの時代にもつぶやかれてきた言葉にそれは同じものがあるのかも知れません。

私の子供の頃なども酷い陰湿なイジメがあったもので、授業中に、先生に言い付けぬ様に恫喝した上で、前に座る生徒の背中を針で繰り返し刺す生徒もいれば、吃りの子供を馬鹿にし、洋服に隠れて見えない手首よりさらに上の柔らかい部分を、毎日笑いながら拳でドス黒くなるほど殴り付ける事を日課としている様な生徒もいたもので、しまいには殴られている部分が壊疽を起こし、そこで初めて事が発覚し、被害を受けていた子供の親が逆上し、学校の教室にあるイスで加害者の生徒を殴り倒す事で初めて解決をみたのでした。

その他にも休み時間などにトイレで大便をしている生徒へ、「くせえ~!こいつウンコしているぜ!」と、トイレに備え付けてある清掃用のホースを使っての放水、成長と共に、皆より一足早く下腹部の毛が生えてきた男子生徒を取り囲み、パンツをずりおろし、女子の前で見せる様に強要したり、また初潮を迎えた女子生徒などが恥ずかしそうに生理用品を入れたポーチ等を持ちトイレに行こうとするのを見つけるや否や、まるで鬼の首でもとった様にからかう言葉によるイジメ、小学生の頃など、シカトなどと言う言葉は知らなかった様な気がしますが、「お前教室に入ってくるんじゃねえよ!」と、あからさまな仲間はずれもあれば、しめしあわせた上で特定の生徒を徹底して無視するなどのシカトによるイジメも頻繁に目にしていた様な気がします。

私にしても、小学生の頃などはイジメの連鎖の外にいたわけではありません。
中学生の兄を持つ同じクラスの生徒がおり、この子供は自分に何かあれば中学生の兄が報復に出る事を事あるごとにチラつかせて、学年全体を牛耳っていたのでしたが、私に相撲で勝てない事を恨みに思ったのか?皆に根回しの上、私自身、仲間はずれやシカトなども随分されたものです。

子供の頃は遠足に行く時に大きなリュックサックやナップサックを持って行くのが子供の間で自慢の種だったものでしたが、遠足時に私が持っているリュックサックを見て、この生徒が「お前、なんだよ?お前のウチ貧乏だからそんな小さなリュックサックしか買えねえんだろう?」と皆の前でこれみよがしに言われた時の悔しさは…母が下着のメリヤスの内職で得たお金で新調してくれたものであっただけに、ミシンを踏み一生懸命に内職する母の姿を、この子供の心無い一言で汚された様な気持ちになり、子供ながらも、私の中で殺意にさえ姿を変えるものがありました。

自分自身を振り返ってみても、人間には非行やドロップアウトの起点となる暴力を選び取って行く瞬間がある様な気がしてなりません。またこれを透視ヒーリングの観点で言うならば、そうした出来事と言うのは、その人間のチャクラに『画像』として刻まれ、癒される時を待つもので、本人は気付かずとも、他者への暴力や拒絶、自傷行為などを衝動的に引き起こす暴力装置の働きさえしていたりするものです。

こうしたイジメが循環する輪の中で、イジメっ子のご機嫌を取り、自分にイジメの矛先が向かぬ様に保身の為にイジメに加担する生徒の姿や、イジメに加わっておきながら後になって、罪悪感からなのか?イジメた相手に「本当は友達だと思っているから…」と言う様な親密さをアピールする生徒の姿、またイジメの現場を目撃しておきながら知らんぷりを決め込み、それでいながら教師が立ち合うクラスのホームルームなどでは皆が快適な学級生活を送る為の決め事などに『積極的な発言』をし、先生の覚えを良くする生徒の姿などもあったもので、子供ながらに矛盾に満ちた社会構造の一端を見せられている様な感覚さえあったものです。

また先生にしても、小学校一年~四年と低学年の頃などは、今思えば戦争を体験してきた世代の方が担任を務めてくださり
、よく廊下にもたたされましたが(笑)厳しさの中にも温かさを感じさせる別け隔てない教育があった様な気がします。
五年、六年の時の担任の女性教師も、人の良い先生で、担当の国語の授業を返上して「はだしのゲン」を読み聞かせてくれるなど、良い思い出もあるのですが、自分が担任を務める学級の水面下で、どの様なイジメが行われているのか?まったく意に介していない様でもあり、むしろ件の子供をクラスを引っ張るリーダーに据えて教室をまとめ様としていた向きもあり、またこの子供も、担任の教師の前では陰湿な一面をおくびも見せず、せいぜい明るいわんぱくな子供を演じているのがありありとわかったものです。

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※はだしのゲン

学級の参観日などで、生徒の親達が担任の先生に挨拶をするのを見ている様な時がありましたが、この中学の兄を背景に学年のボスと化している子供の両親が教壇に立つ担任に挨拶している時も、どこかしら他の親御さん達に対する態度とは違うものの様に思われ…
子供ながらにそれはまるで、歓心を得たい為に、宴席でとりとめのないお世辞を言いながら酒の酌を繰り返す、人のお流れ頂戴を見ている時の様な白々しさをそこに感じたのと同時に、人を貧乏呼ばわりし、母親に買ってもらったリュックサックにケチをつけたこの子供の両親さえ苦々しい存在に思え、「こいつらいつか見返してやる」と言う様な屈折した思いが湧き出たのをよく覚えています。

この先生は国語が担当の教科でしたが、体育の先生が休みの日などは体育の授業を教える様な時もあり、この頃にはあまのじゃくな資質が私の中にも芽生えていたのか…

「センセ、センセは国語の授業が専門ですよね?」

「うん、そうだけど、それがどうかしたの?」

「センセ、国語のセンセのくせして、資格の無い体育の授業教えていいんですか?」

あせるい、いいんです!まっ、何て事言うの渡部君は!?むかっ

と、いらん口をすべらした私に、顔を紅潮させて激怒の表情を見せたこの先生でしたが、その後も何かにつけイライラしている時など「どうせ私は資格がないですからね、そうでしょう!えっ!渡部君!!むかっ」と関係ない事で八つ当たりされる始末で、小学生にしてすでに風当たりの強い冷や飯がなんたるかをおぼろげながらも理解していた私でもあった様です(笑)

つづく

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