「あの人ずぼらだからさ…」
「ほんと時間にもルーズだし、ずぼらで困るよまったくあの人は!」
と言う様な言葉を、会話の中で耳にしたり、自らも人を「ずぼら」と評した経験のある方はとても多いのではないでしょうか?
でも、この「ずぼら」と言う言葉が、お寺にその語源の発祥を置いている事までは知る人は少ないのかも知れません。
( ; ゜Д゜)
僧侶を「坊さん」と呼ぶ事は皆さんご存知の事と思いますが、坊さんは「坊主」を丁寧に表現した呼び方でもあります。
坊主とは「坊(寺、僧侶の住居)の主」の意味で、本来は敬う言葉でもありましたが、いつの間にか僧侶を軽んじて呼ぶ言葉になった様です。
今では僧侶に向かって「坊主!」と呼ぶ事は憚られるものがあり、むしろ年長者が高圧的に若者を呼ぶ様な時、「おい坊主 !」と呼ぶ事に耳慣れたものを感じる方も多いのではないかと思います(笑)
でも、「坊主」を罵倒語にしたのは、他ならぬその坊主自身なのかも知れません。
「葬式仏教・葬式坊主」などと皮肉にお寺の社会を揶揄する言葉も世間にはありますが、東京などでは、葬儀場に導師として現れたお坊さんが、それこそお布施の封筒の中身が定めた金額より少ないと見るや、回れ右で帰ってしまうと言う…僧侶にあるまじき信じ難い事も現実としてある話しです。
(;~∧~;)
さすがに故人を弔う葬儀の席では僧侶を罵る人はおらずとも、葬儀の一切合切が済み、身内ばかりの席などで、お布施や高額な戒名料などに話しが及び、苦虫を噛み潰すかの様に「あの坊主め…」と親族の一人がつぶやく姿など、似たような光景を目にした事のある方も多いのではないでしょうか?
さる地方のお寺の檀家になっている方が、ご自分の親御さんが亡くなった時、法外な戒名料を取られ、よほど悔しかったのか…
「正仙さん、うちの家は何代にも渡ってあの○○寺には寄進もしてきて尽くしているのに、うちの父が亡くなったからと高い戒名料を当たり前に請求してきて、タダとは言いませんが、永年の檀家の戒名料くらい半額にしてくれてもバチはあたりませんよね?これじゃあ、そんじゃそこいらのイチゲンさんと同じ扱いでまったく納得がいきませんよ!」 と私に話してくださったものでしたが、「イチゲンさんと同じ扱いに」と言うところに、この方の憤懣やるかたないものを感じた私でしたが、こうした声がある事を、当のお寺は知らないのです。
私が極道当事なども、快く思わない相手を指して「あの茶坊主め!」と呼ぶ人間がいたものでしたが、これなども明らかに侮蔑するかの様な意味のある言葉であり、上の人間にヅケ取り(ご機嫌取り)のウマイ人間や、喧嘩根性が無くとも、金儲けがうまかったり、実務的才能がある人間を影で蔑む時に用いられた言葉で、分かりやすく歴史の群像のタイプの比較で言うならば…
武骨で実戦経験豊富な武断派の武将が、戦の経験はあらずとも、実務能力を買われて台頭してきたハト派の智将をなじる様な時に用いられる言葉と言ったらわかりやすいでしょうか?
話しが少々脱線しましたが…(笑)
まだ「坊主」が丁寧語だった時代、世間の人は坊主に似て非なる存在の人間を「主坊・ずぼう」と揶揄し呼んだそうです。「あれは坊主の風上にも置けない主坊(ずぼう)だよ」と言うわけです。坊主なら戒律を守り、規則正しい生活をしているはずなのに、そうではないから、「主坊・ずぼう」と坊主を倒置して呼んだ歴史と言うものがあった様です。
その様なことから「ずぼう」とは坊主らしくないだらしなく不規則な毎日をすごしている者を指す言葉になった様で…「ずぼう」が長い年月の内に「ずぼら」に転訛し、「ずべら」とも言われる様になった様です。
「ずぼう」「ずべら」の語源は同じで、それが意味するものも同じなのです。
今の時代、坊主に対してではなく、それはむしろ身近な人間関係に於いて、約束の時間に平気で遅れてくる人や、だらしない性格の人を揶揄する時に「あいつはずぼらだ」などと言いますが、何気なしに私達が使っている「ずぼら」と言う言葉に、坊主を逆さまにした意味がある事を知ると、ずぼらなご当人も、なにやら愛嬌のあるお坊さんや尼僧さんに見えるかも知れませんね(笑)
(´∀`*)
合掌