今日の午後、遠方よりお越し下さったお客様…
「おかげさまであれから卵巣の腫れがひきました。」と数ヵ月前に私からヒーリングセッションを受けた御礼を言って日本酒を渡して下さるその方の笑顔に、こちらこそおかげさまの気持ちでいっぱいになったものです。
私は今まで色んな方に、ヒーリングや御加持をさせてきて頂いておりますが、本当は、病や人知れず悩みを持ち、癒しを求めるお客様やクライアントこそが、ヒーラーではないかと思う瞬間があります。
私はリーディングなどのセッションをして、その方のオーラやチャクラを見て行く内に、またその方が語る幼少期からの心情過程に、その方自身があるタイミングで病気になる事さえ誓ってこの現世に生まれてきているとしか思えない時があるものです。
病気の時に「私の気持ちなど誰がわかるものか!」と自分や周りを呪いたくなるのも人情とも言えます。
でも、そんな方でも家族や周囲との関係から生じる心の傷がある事を素直に認めたり、自らの潜在意識下に否定や恐れを植え付ける依存性などの否定のパターンがある事に気付き、勇気を持って改善に踏み出す時、病も快方に向かう事において、肉体の中に魂が宿るのではなく、魂の中にこそ肉体が置かれているものを感じるばかりです。
そう言う意味では、施術を行うヒーラーが、自らギフトとして結果を手放している遠隔ヒーリングなどのワークは別としても…
病気としての患部や症例にアタックしてそれだけを取り除こうとする、ヒーリングや加持祈祷は、人間を肉体としか見ぬ傲慢なエゴの現れとさえ言えるのではないでしょうか?
こうしたヒーリングや加持祈祷と言うものが、一時は効果をあげたかの様に思えても、本人が『気付くところなければ』揺り戻し、また形や病名を変えてでも再発する事も天地自然の理でもあります。
どんなにヒーリングに長けたヒーラーと言えども、法力抜群と言われる行者と言えども、たとえそれが病を目の前にした人に対してであっても、人の心に踏み入り、気付きや学びの芽を摘み取る事はできません。
第5チャクラ(喉にあるエネルギーセンター・コミュニケーションを司る)の発達したヒーラーなどは、言葉少なに話していても、相手がヒーリングを受け取りやすい状態になる様に、そのトラウマやカルマとなっている事に目を向けさせ、自身の中で気付き認めさせる様な、ヒーリングに導引して行く能力が高かったりもするものです。
病気など、お客さまに強い恐れが伴っている様な場合など、心情的にも安心して自らが快方のプロセスを選び取って行ける様に、カウンセリングを併用する事が、ヒーリングや加持祈祷を行う上で大切な事、最近つとに感じる事の多い私でもあります。
頂いたお酒は、私が自宅で殆ど酒など飲まぬ事から、飲んべえの自坊本尊(笑)大元帥明王にお供えさせて頂いた愚僧であります。
(^^ゞ
合掌