魂の讃歌…生きる!

密教僧侶ヒーラー正仙「法名」-304442_372634102812675_846861215_a.jpg

足で絵筆を使い絵を描く女性の姿…手を使い熟達した絵を描くのも至難な中で、足の指に絵筆を挟みそれをする事…

血のにじむ様な努力がいると聞いた時があります。
(。。;)あせる

私の知り合いにも教師の時に片足を失い、現在では義足で車を運転し、全国を精力的に行脚するスクールワーカーの方もいます。

腕や足を大きく欠損した方と言うのは、日常の動作で大きなハンデを追うばかりでなく、心臓から身体に行き渡る血流の関係から、臓器に負担が大きい事から健常者に比べその寿命も短い場合も多い様です。

身体に大きな欠損を抱える事は、自分の心さえも切り落とす様な心の闇を経験する事…先天的なものであろうとも、偶発的な事故によるそれであろうとも、それは同じなのかも知れません。

私達健常者にははかり知る事の出来ないコンプレックスや、葛藤や不安に打ちひしがれる時期を経験し、時にはやる方ない感情を周囲にぶつけたりするプロセスもあったりする事を聞いた時があります。

しかしながら…そうした大きなハンデを持った方が、あるがままの自分を認め、生きる事に気づき歩き始めた時の強さと言うものは、五体満足でありながら、不平不満を募らせる事に汲々としてしまう私達には、到底及ばないものがあるのかも知れません。

私達は具足円満に生まれてきた事をあたり前に思い、自分を受け入れてもらえない事の不平や不満を募らせ、見栄や虚栄心に翻弄されたり、自分の望むものを得る事が出来ぬ事に苛立ちを感じ、人とも争い、様々な人間ドラマさえ生み出し、葛藤の最中に年老いていってしまう生き物なのかも知れません。

でも、こうした中で私達は、時には三歩進んで二歩下がる様にしてでも気付きを得て歩んで行くに違いありません。

しかしながら身体に大きなハンデを負った方と言うのは、その事自体に、私達が月日や年月を経ながらでも小刻みに経験して行くであろう人生の課題を集約させている様でもあります。

感じ方や自分が置かれる境涯の捉え方は十人十色と違うものがあり、一概には言えない事でもありますが、片腕や両腕の無い方や、片足や両足が無くとも、アクティブに活躍する方の姿などを拝見する時…

健常者の知り得ぬ心の闇や葛藤を抜け出した輝けるばかりのオーラを認める時があります。

それは、あらゆる制限や制約を乗り越え、身体の一部が無い事からもたらされた悟りとさえ言えるのかも知れません…

そしてそれは…自分自身を一心に表現する事が、人生と言うキャンバスに描く最も美しいアートである事を知る…魂の声のままに生きる美しい人の姿を、同情さえも必要としない人間の魂の強さや輝きを私達に教えてくれている様でもあります。

合掌

タイトルとURLをコピーしました