★胃ガンを胃ポンと言ってみませんか?

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先日、ある方からの依頼で、子供の潜在能力の開発を手がけるお母さん達を相手に小さな講演会を催してきました。

その席上の事、私が「ガンをポンと言ってみませんか?」と言うと

場内に笑いの渦が拡がって行きました(笑)

でも、考えてみれば『ガン』て、なんと重い響きのある言葉だと思いませんか?

『ガン』と聞いた時にあなたは何を連想しますか?

身内でガンで亡くなった方の痩せ衰えた姿

TVで放映されているガンの手術のワンシーン

または手術によって摘出されたガンによって蝕まれたドス黒く変色した臓器

またはガンによって亡くなり、その方の親族が亡きがらに泣いて縋る姿

『ガン』と聞いて明るい前向きなイメージを思い浮かべる方はそういないのではないかと思います。

今の日本では『ガン』と言う言葉は死に直結するイメージさえあります。

よく世間では『言霊』と言う事が言われる様になりましたが、まさにこの『ガン』こそネガティブな言霊の代表格とも言えます。

『ガン』と言う言葉、強烈な濁音を伴っている事にお気付きでしょうか?

よく姓名判断などで、濁点の付く名前は、病気に罹りやすかったり、不幸な人生を送り易い等と言う姓名鑑定士の方もいます。

言葉や名前には独特の波動やエネルギーが宿るものではないでしょうか?

『ガン』という言葉には人間の潜在意識奥深くまて沈澱するとても強い負のエネルギーがあります。

この何気なく日頃使っている『ガン』という言葉…

誰かから「あの人ガンで入院したらしいよ」と聞いた時など…

「え~っ!本当なの!!それって大変よね!でも早くよくなってくれるといいね」と…

これなども、他人の病気の話しを聞いた時のありきたりなごく普通の会話です。

でも、その時の自分の心の状態はどうでしょうか?

「あ~あの人もガンじゃ長生き出来そうもないわね。」

「三年くらいは生きられるのかしら?」

揚げ句の果てには「あの人とはそれ程親しい付き合いもしていなかったけど、亡くなったらいくら香典を包んだらいいのかしら?」と

その方の葬儀の状況まで、自分の中でビジュアライズしてしまう始末…

こうした経験はどなたもお持ちではないでしょうか?

でもこれは他人様の話しです。

では自分の身内、妻や夫、親、兄弟、子供といった血肉を分けた存在が『ガン』で入院していたらどうでしょうか?

あなたをはじめ、病室に訪れる全ての人が、入院されている方の回復を願い、励ましや優しい言葉をかけていくに違いありません。

ガンも、小さなポリープから始まって、初期から末期までの段階があり、進行の度合いが、周囲の方に希望を持たせる時もあれば、絶望の淵に追いやる事もあります。

入院されている方に心理的な負担をかけまいとあなたは涙をこらえ「あの人は大丈夫、きっと良くなる!」と自分を励まし健気に振る舞うかもしれません。

でも心の中はどうでしょうか?

『ガン』という病名に身も心も翻弄されてしまっていませんか?

家族の中にガン患者が出るという事はとてもショッキングな出来事です。

確かに現在ではガンの発症した部位や大きさによっては開腹手術をせずに済ます方法もとられる様です。

しかし入院した場合、たとえ保険が適用されたとしても、高額の入院費、手術費用は避けられません。

まして一家の大黒柱であるご主人が入院されたとなると、家族の経済的苦労や心労は計り知れないものがあります。

抗ガン剤を投与され副作用に苦しむ姿

手術が成功してもいつ再発するかも知れないという恐れ

私は思うのですが、『ガン』になりやすい人には『ガンコ』な方もまた多いという事です。

ガンを患った事で悲観的な気持ちになるのは理解できるのですが…

「私はどうせガンなんだからお先真っ暗よ!」

「あんたたちにガンになった私の気持ちのなにがわかるって言うのさ!」

「私がガンで辛い思いをしているのによくもそんな事が言えるわね!?」

「財産が欲しいから俺に早くガンで死んで欲しいのか!貴様たちは!」

といった具合に『ガン』の二文字に両足をズックリいれてしまい、自分を見失い時には周囲をも巻き込み、悲壮なガン患者を演じてしまっている方も聞くケースにも多い様な気がします。

実はこうした自分がガンである事に固執する深刻さや恐れが『ガン』にとって一番のご馳走でありエサの様です。

そして『ガン』に対する家族や肉親の不安もそこに一役買ってしまいます。

「何をバカな!ガンは原因と結果のハッキリしている病気で、喫煙や油のとりすぎといったちゃんとした根拠があるからガンに成るんだろう!!」と言われる方がいるかもしれません。

でも科学物質による細胞の突然変異といった事だけがガンの発症の原因なのでしょうか?

病気が強いストレスによって引き起こされる事は医者でなくともよく知られている事です。

でも『ストレス』というのはコレステロールの様な脂肪分でもなければニコチンやタールといった科学物質ではない筈です。

それは不安や恐れ、精神的疲労といった『想いの世界』から由来している事だからです。

『ガンの芽』は誰しも持っているとあるお医者さんが話しているのを聞いた事があります。

例えば喫煙ひとつとって見ても、ガンになりやすい人とそうでない人がいる様な気がします。

私の父方の祖父などはキセルで毎日プカプカ煙草を吸っていましたが、見事に天寿を全うして亡くなりました。(八十代後半で亡くなりました)

勿論これはひとつの例に過ぎず、ガンに成りやすい体質、また成りにくい体質といった事も原因としてあるのだと思います。

タバコに発ガン物質が含まれているのは明らかです。しかし、有害な科学物質の摂取ばかりが『ガン』の原因と成り得るのでしょうか?

日常に占める感情、そこからくるフィーリング< br />

とても大きな要因を占めているのではないでしょうか?

一日にタバコを二箱、三箱と吸うヘビースモーカー

何等かの不安を埋める為、タバコの本数も増えていったのかも知れず…

人間にはハートチャクラという胸骨の辺りに愛する能力を司るエネルギーセンターがありますが、ヘビースモーカーやチェーンスモーカーの人というのは

生きがいや心の充足、文字通り「愛の代用品」として間断なく喫煙し、タバコの煙りでハートチャクラを満たしていると言えます。

また毎日に及ぶ過度の飲酒塩分のとりすぎ、肉食嗜好が強い事も『ガン』の原因として挙げられますが

淋しさから逃れる為アルコールに溺れてしまえば、ガンにならずとも胃や肝臓が悲鳴をあげます。

塩分や油や肉食のとりすぎといった事も、親から影響を受けている部分もあり、一概には言えませんが

これも何かの不安を購う為に味覚の強いものばかりに嗜好が偏る…

自分自身の実生活の変化(収入の激減、恋人との別れなど)がトラウマとなり

それに抗う形で、自分にとって思い出深い良い時代の過去の食生活のパターンを繰り返してしまうという事もあるのではないでしょうか。

突き詰めてみれば、変化への恐れ、失う事への恐れとも言えます。

ガン細胞に命を吹き込み、破壊的な活動をさせる一番の大きな力は『不安や恐れ』ではないでしょうか?

逆の見方をすれば、食生活もバランス良く摂り、適度な運動もし、家族や仕事、人間関係にも恵まれた『健康』を絵に描いた様な人でも

とても強い不安や恐れ、ストレスに長い間晒され続けたらガンになる可能性が高いのは勿論、他の重い病気を誘発する事もあり得ると思いませんか?

病気を『学び』とする考え方があります。

そして『ガン』の様な命を脅かす可能性のある病気を患うと嫌が上でも自分のこれまでの人生を振り返り、自分の内側に目が向くのではないでしょうか。

それまで拝金主義一辺倒で生きてきた自分…

会社での業績ばかりに心とられ家族を省みなかった自分…

入院している自分をこんなにも献身的に尽くしてくれる妻や家族…

こんなにも愛すべき家族が側にいる事さえ気付いていなかった自分…

様々な形で気づきや癒しがもたらされるのかも知れません。

入院した当事者だけではなく、見守る家族にも『思い出すべき何か?』深い部分に訴え、癒される何かがあったのかも知れません。

私は父をガンで亡くしております。

直腸ガンを患い、術後数年して再発し、最後は脳に転移し逝ってしまいました。

私は何度も再手術をする父が気の毒で「何度も身体を切り刻みやがって、このヤブ医者が!」と病院側を怒鳴りつけたい気持ちになる時もありました。

しかし手術というのは身体にメスを入れ、当事者にとって、心身共にダメージが大きいだけに

病状が悪化し、死が避けられない時、周りからみれば気の毒な再手術であっても本人からすれば死への恐れをひとつひとつ段階的に手放す心理的な助けになっているのかもしれません。

話しの冒頭で書いた様に、『ガン』という言葉が持つ負のエネルギーたるやもの凄いパワーがあるのです。

ですからもし身近な方に『ガン』で入院している方がいて病気の話しに触れた時は『ガン』と言わずに『ポン』と言う事をおすすめします。

患者の方も『ガン』を『ポン』と言われたら深刻な顔が綻び、笑い出すかもしれません。

『ポン』という時ドス黒いガン細胞がかわいらしい魚の目かオデキの様に思えませんか?

『ガン』を『ポン』と呼んだところで、病院の権威を失墜させる事もなければ、誰を傷つける事もない筈です。

『不安』『恐れ』』『深刻さ』が一番のガンのウィルスの餌であり、そしてこうした『負の想念』を患者とその家族が持ち続け共有してしまうと、創造のエネルギーが働き劇的に病気を進行させてしまう事もあると言う事を忘れないで頂きたいと思います。

病気の時こそ感謝、明るさユーモアを忘れずに…

『笑う門に福来たる』とはまさに病室に置きたい格言でもあります。

合掌

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