ここ最近TVや週刊誌でみのもんたの息子が起こした事件が、取り沙汰されている様です。
中には意図的とも思えるバッシングの記事などもあり、TVの世界で局のトップさえも、みのもんたに平身低頭していたと言う力関係の構図を暴くものや、現在住む鎌倉の自宅の用地購入の経緯までを呪われた土地と称し、凋落の原因とする魑魅魍魎とした内容のものまであります。
私などは、芸能人やスポーツ選手、まして政治家などは、卑下する意味はそこにあらずとも、元より聖人君子とは思っていないので、様々なスキャンダルや事件が起きても、ある面当然だと思っているところがあります。笑
みのもんたの息子も成人し妻帯している大の大人…
本来であれば、みのもんたが尻ぬぐいをし、TV番組を降板する必要などないのでしょうが、公共の電波に乗り、視聴する様々な人々に影響を及ぼす立場にありながらとする…倫理上での見えざる責めと言うものが、今までも政治家から芸能人に至るまでの様々なケースにおいて、詰め腹を切らせてきた力学でもあります。
この辺の感覚が、欧米の人間などから見ると理解し難いものがある様で、日本人特有のものなのかも知れません。
芸能界で辣腕を振るい、院政を敷いてきたとされるみのもんたに甘やかされて育ったがゆえに、息子が礼儀知らずの馬鹿に育ったとする説もある様ですが、そこには今までみのもんたに頭の上がらなかった人間達のリークされた意趣返しと言う思惑も、介在している様に思えたりもします。
長い間の人と人との繋がりにおいて、一方通行だったり、小さな感情の齟齬や無理が積み重ねられて行く時、必ずどこかのタイミングでマグマが出口を求めるかの様に噴き出す時期が用意されるものです。
それは夫婦や親子でも、友達でも、仕事上の人間関係でも、国家間でさえも同様で、それが癒される機会がないままに一方が我慢すれば、個人間では、肉体や精神に作用し、一方が病気となって身体のレベルで悲鳴をあげる事もあれば、国家間においてさえも、一方の国が様々な大義名分の元に大国の干渉と言うエネルギーの侵害を受ける時…
その国の持つアイディンティを喪失し、破綻や内乱など、尚更に問題が深刻化する事は、今さらここで説明するまでもなく、近年に見られる国家間のパワーゲームに顕著な事でもあります。
一見、みのもんたの話題から国家間の事など次元の違う結び付かぬ事の様に思えども…実は、ミクロにもマクロにも規模や形こそ違えど、同様の法則がそこには働いているのではないでしょうか?
スピリチュアルな解釈で言えばこれさえも『癒しと再生』に他ならず、破壊と再生と言うと、荒々しく聞こえるかも知れませんが、これはこの地球にあるものすべてのDNAに種子を持つ事でもあり、それは私達が生きる日常の目にするところ、手に触れるところすべてに波及している事でもあります。
これをネガティブや悲観的な物の見方で、建設的な思考ではないと思われる方もいるかも知れませんが、この地球と言う星で生きる事は、予想外な事も含め、常に変化を受け入れると知る時…人生に折々現れる変化の嵐の時も、感情の波は感じても、台風の中心の目がおだやかなものである様に、どこか醒めた目で、今自分が経験している事を眺める事が出来る様になるのかも知れません。
また、子供の頃からTV局の関係者や芸能人が、コメ付きバッタの様に父親であるみのもんたに平身低頭する姿を見て育ったがゆえに、息子が傲慢でワガママな人間に育ったとする意見もある様ですが…
これなども、子供の頃からみのもんたの息子が父親の楽屋に出入りし、行き交う業界の人間が、ペコペコ父親に頭を下げるのを見ていたとしたら、彼の中で、大人達が馬鹿にさえ見えたのかも知れません。
みのもんたが息子をよく銀座に飲みに連れて行く事なども報じられていた様で、遊びの部分でも大人の世界をかいま見せたつもりでいたのかも知れませんが、親としての躾もあり、しっかり親子の信頼関係が確立されていて、初めてそうした遊びの部分も活きるのではないでしょうか?
子供と言うのは、親の仕事に関わる人々に、自分の親がどの程度の信頼を置いているのか、親の態度や人によって変わる言葉のアクセントの変化などからよく見ているものです。
馬鹿にしているのか?軽んじているのか?それとも信頼しているのか?と言う具合に…。
ウチの子に限って、素直に育っているから、親の事など気にしているはずもなく、まして親を観察したりする様な目線を持っているはずがない!と思う方も多いかも知れませんが、子供はそうした事を巧みに表現する術を知らないだけで、実に親の本質を見事に感覚でとらえているものです。
仮に、親に仕事上の立場から散々頭を下げた人間が部屋から退出した様な場面に、もし自分の子供が居合わせたとしたら『おい、お前みたか?会社のお偉いさんと言ったところで、パパにはペコペコだろう!世の中あんなもんだ!アッハハハ!』と子供に自慢したいのもその場にあれば責める事の出来ぬ人情かも知れません。(笑)
こうした親の言う事も、割り引いて考える謙虚さが、子供の中にあれば問題ないものの、普段よりただでさえ、過保護に育てられてきた背景があったりすると、こうした親の言う事を額面通りに受けとってしまい、一つの世界モデルとして自分にしっかり刷り込んでしまう危うさがあるものを私は感じたりもします。
私は極道当時、様々な職業の会社の社長さんとも親交がありましたが、ある老舗の会社にお邪魔した時など、そこの社長などは、自分の息子にお茶汲みから会社の雑事を、他の従業員が大勢いるにも関わらずあえてさせていたもので、そこには社長の息子だからと慢心させない為の戒めも当然あったのでしょうが、いずれは会社を息子に譲るにしても、他の社員と同様の下積みを経験させる事により、従業員からも信頼され親しみを持たれる人間に成長したところで経営をバトンタッチしたいと願う、この社長の親心を感じたものでした。
別に厳しい躾や礼節を礼賛するつもりはありませんが…
極道当時も色んな会社やお宅を訪問する機会もあった私でしたが、そんな時、その場に居合わせたその家の子供の表情からさえも、色んな事が占えたものです。
来客があるにも関わらず挨拶もせずに、親を蔑む様な視線で睨みプイッと出
てしまう子供の姿…
『おいっ!お客さんだからお前上の部屋に行っとけよ!』と父親が声をかけたところで『あぁ…』と気の抜けた返事でこちらを見ようともせず、寝そべり大音量でTVを見ている年も二十歳は超えているであろう子供の姿…
そんな光景を目にしてからしばらくすると…
親御さんの方が病気で倒れたり、子供が事件を起こして捕まった事などを後に聞かされる事なども度々あったものですが、そうした事はどこかの部分で、予兆としてサインとして周囲に発されているものかも知れません。
今回のみのもんたの件なども、TVの仕事に忙殺され、子供との関わりが持てない事も原因としてあったのでしょうが…でも、そうした自分の中にある甲斐の無さを、きらびやかな虚栄や権勢ぶりでごまかし、子供のご機嫌を取る事と親子の在り方は違うものを感じた愚僧であります。
合掌