おはようございます!…人間関係に見るスピリチュアルな視点からの赦しとは?

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おはようございます。

朝の勤行前などよく空を眺めますが、去年などは今時期、鮮やかな紅色で空が染まる事も多かった様な気がしますが、今年は比較的淡い空の色が多い様な気がします。

ここ最近のセッションでも、やはり人間関係の悩みを聞く事が多い様な気がします。

私達人間と言うのは、不快の原因が自分では無く、相手にあると思う事で少しは楽になりたいと思う生き物なのかも知れません。

でも、その相手を自分の日常と言うエネルギーフィールドに招いているのは他ならぬ自分でしかありません。

相手が憎ければ憎いほどに、一日の内にその相手がイメージとして頭の中を占める割合が大きければ大きいほどに、その相手は赦し(ゆるし)と癒しのテーマをあなたに差し出している存在に他なりません。

相手は〇〇花子として、あるいは〇〇太郎として、時に厳然と目の前にそびえ立ち、払拭する事の出来ない不安や恐れをもたらす超リアルな存在に思えたりもするものですが…

こうした時と言うのも、スピリチュアルな視点から言うと、その実、自分の中で赦し癒し手放すべき何かがある事を、相手と言う肉体を纏ったイメージとしてシンボルとして、自分がスケープゴートし、招いていると言うのが真実の様でもあります。

またこうした時と言うのは、お互いの過去世から持ち越してきている、無意識下にある記憶が浮上し、お互いの感情に影響を与えている場合も多かったりするものですが、大切なのは過去や未来に心馳せる事ではなく、今この瞬間にフォーカスし生きる事に他なりません。

人は自分の人生に起こる出来事を、自分の都合のいい様にコントロールし、変えたいと願う生き物なのかも知れません。
でも、この世にオギャーと生まれてより、人との出会いから日々起きる出来事、人に差し出す自分の姿から、人に投げつけられる言葉まですべてがすでに予定に組み込まれている事としたら少しばかりショックでしょうか?

この事について書けばそれだけで長い内容になるので控えますが、本来時間は無く、一瞬にしてすべてが起きていると言う事、本当は過去世も未来世もすでに完了し、神と共にある場から肉体を通してまるで上映済みの映画を巻き戻して見ているのが私達人間の人生だと言ったら、自由意思で何でも創造出来ると信じている引き寄せマニアの人はショックを受けるでしょうか?笑

不安や恐れはそこに必要ありませんが…
『起こるべき事は起こる』と、端然と腹を据えてしまう事も、安心の内に人間が生きる上で大切な事の様な気がします。

相手に対する否認の感情はイコール自分に対する否定である事、私はどれだけ自分の中に見てきたかわかりません。

嫌な相手と言うのはそこにある見えざる罪悪感や恐れを浮上させ、解放させる為に、自らの聖霊(ハイアーセルフ)がそのテーマを持った相手を目の前に連れて来ると言うのが本当の様でもあります。

ですから、困難な相手や状況が目の前に現れた時も『あらら…レッスンの時間がやってきたわ♪』または『おいおい、お題の時間がやって来たぜ!笑』と言った具合に深刻にならず、少しユーモアな感覚さえ持ってほしいところでもあります。

そんな時、自分も相手も本質は肉体ではなく、スピリットである事を思い起こして頂くのも良いかも知れません。

最後に私の好きな言葉を引用したいと思います。

これは現実逃避の方便ではなく、人間関係で怒りや不安が度々浮上して来る時など、自分に、そしてイメージ上の相手に心の中で語りかけてあげると良いかも知れません。

私は不死の精霊だ。

この身体はイメージに過ぎない。

わたしとは何の関係もない。

あなたは不死の精霊だ。

全体であり無辜である。

すべては癒され、解放された。

合掌

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