★人生交差点…体罰・仏教と名の付く学園の回想③

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※社会通念上、不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

今朝新聞を見ると、戦争体験を語る元少年兵だったご老人の談話が載っていました。

軍隊への志願を煽るかの様なポスターに憧れ、いざ教育隊に入ると理由もなく殴られ蹴られる毎日…
先頃は慰安婦問題で物議を醸した日本でもありますが、この方も入隊当時など少年兵であった事から慰安所の存在さえ知らず、避妊具を持参していなかった為に上官にとがめられる事などがあり、若く純真だったこの方は『(避妊具を)持っていなければ、帝国陸軍の軍人になれないのでありますか!?』と反論すると…

『女も買えないで敵を殺せるか!』と理不尽とも思える理屈を付けられ殴られたそうで、その後も慰安婦を拒み続けた事から、嫌がらせを受け続けた事などが、その記事には書いてあるのでした。

この方はこうした毎日のように行われた軍隊当時の暴力の理由を『人間性があったら敵を殺せないからです。』と振り返るのでしたが…

この『人間性があったら敵を殺せないからです。』と言う言葉は、暴力が人にもたらす本質を見事に言い当てている言葉でもあるかの様です。

殺さなければ殺されてしまうのが戦場であり、そこには良心も人命を尊重する愛や慈悲などと言うものは無用の長物…
求められるのは、上官の命令に忠実で、自らを武器と化す事のできる、タフな殺人マシーンそのものに違いありません。

そうした人間を養成する上で、戦争の是非や人間の命の尊さや愛と言う事に目が向いてしまう道徳論や精神世界は究極不要であり、兵士として軍人としてのモラルがあればそれで充分な事でもあります。

※軍に関する記述は現在の自衛隊を批判するものではありません。

阿鼻叫喚の地獄の最中でも、心折れる事なく引き金を引き続ける闘争心、または捕虜として捕われの身になり、敵軍からの拷問にも口を割らぬ強靭な精神力を養う『軍の都合』を考えた時、時に理不尽で、呆然自失にさせ、考える事さえ許さぬ暴力と言うものは、軍隊にとって持ってこいのツールとさえ言えるのかも知れません。

戦争においてもジュネーブ協定に知られる捕虜の扱いなどを定めた国際的な条約や取り決めもあるのかも知れませんが、戦争と言う狂気の現場において、どれだけそれが遵守されると言うのでしょうか?

もしあなたが戦場にいて、たった今自分の同胞が目の前で敵の銃弾に倒れたその直後に、敵の兵士がおめおめと捕虜として目の前に連れて来られたとしたら…

あなたはそこに果たして人間として憐憫の情をかける事が出来るでしょうか?

捕虜の扱いなど、軍の査察も入らぬ状況がそこにあり、捕虜を闇の内に葬り去る事さえ可能だとしたら、その捕虜を私刑(リンチ)にもかけず、手厚く保護する自信があなたにはあるでしょうか?

人間が極限状況に立たされる時、仮面を剥いだ、むき出しの罪悪感が暴力となって投影され突出するのも、『戦争のはらわた』とでも言うべきものであります。

慟哭、怒り、報復への衝動が、数限りない捕虜などの非戦闘員への虐待や虐殺を生んできた事は、国を問わず繰り返されてきた人間の歴史の闇そのものでもあります。

こうした事一つとっても戦争自体が狂気の場である事はあきらか…

狂気を是認するには狂気を用いなければならず、そうした時、暴力で身体に徹底して反発と不条理を叩き込む事は、軍隊のヒエラルキーを為す上下関係を身体に染み込ませる意味においても、理に叶ってさえいるのかも知れません。

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スピリチュアルな世界では、暴力とは究極の不当化のエネルギーと言われたりもします。

ここで言う不当化とは『人を不当に扱う』その不当と同じ意味でもあります。

しかしながら、私が過去にいた極道の世界では、部屋住みと呼ばれる駆け出しの頃から、兄貴分や先輩達のヤキ(暴力)を散々もらっても、泣きを入れない人間と言うのは後に信頼され評価を受けたものです。
何故なら、こうした強靭さを秘めている事は、警察での執拗な取り調べにも屈する事のない警察根性に発揮されるからでもありました。

取り調べの可視化が取り沙汰される現在でもあり、取り調べのスタイルも当時とはだいぶ違うものがある様ですが…
まだ私がその世界にいた頃などは、紳士な警視庁や関東の警察の取り調べに比べ、大阪府警や兵庫県警の暴力団対策課のヤクザを取り調べる時のヤキ(暴力)には有名なものがありました。

柔道や空手の有段者などの猛者が、取り調べ室で被擬者を正座させた上でつらを張り飛ばし、複数で殴る蹴るはあたり前、柔道の締めで何回も落としたり(気絶させる)、警察の柔道場に連れて行き、痛めつけるなど、親分と呼ばれる人間であろうが、幹部であろうが情け容赦ないものがあり、こうした警察の取り調べ時の暴力で命を落とした極道がいる事なども、その世界にいる頃は、風の噂で耳に入ってきた事があったものでした。

こうした事も、極道が司法にタレ込まない(密告せず、訴えない)行動原理に従い生きている事を知っている警察によって、闇から闇へと葬られてきた事でもあり、当時世間に明るみに出る事などまずなかった様な気さえします。

こうした事から、大阪府警や兵庫県警に出頭する際は、あらかじめ細かくわけた身体全身の写真を撮っておき、刑事による取り調べ時の暴力があった場合、証拠として争える様に弁護士同伴の上、出頭する人間も当時はいたほどです。

少し話しが逸れましたが、この様な峻厳を極める責め苦の場においてさえ、心折れぬ闘争心と言うものを考えた時、組織に生きる信念は勿論ですが、その人間が幼少期から今に至るまで、言葉も含めて経験し浴びてきた暴力と言う不当化のエネルギーがその源として介在していた様な気がしてなりません。

見てくれはワルでも、どこかしら両親の愛情を満遍なく受けた育ちの良さを感じさせる若者と言うものは、見て少し話すだけでもわかるものがあり、その素直さゆえに、警察の取り調べに弱いもの
が感じられたりで、当時私の下にいた人間が、こうした人間を組織に入れて欲しいと連れてきても、決して了解しなかった時もありました。

これなども、当時の私とすれば、若者の行く末を考えた殊勝な思いからではなく、自分や組織を守る実害を考えた上で判断した事でもあったのです。

子供の頃より暴力と言う不当化のエネルギーを浴びて育ってきた人間は、卑屈さのバネとでも言うべき資質を持つところとなり、裏社会を生きぬく強靭さを宿していたりするものでした。

でも、それは裏を返せば、親からであろうと誰からであろうと、一人の人間が受けた暴力の痕跡は、どこかの部分で自らも暴力を是とし、他人に暴力を行使する闇を自らに刻印してしまう事でもあるのです。

子供の頃に親から受けたDVや折檻が大きなトラウマとなり、親やその暴力を憎んだ当人が成長し、自らが結婚した時など、配偶者や子供に対し、憎み恐れたDVや暴力の加害者に自らがなってしまう事なども、暴力がもたらす負の連鎖でもあります。

つづく・合掌

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