ある時、夢の中で自坊本尊でもある大元帥明王の仏像が台座を残して忽然と消えてしまう夢を見た時がありました。
正夢や予知夢とはよく言われるところでもありますが、私は夢の中で、その後実際に起きた事を暗示していたかの様な夢を見る事も多く、その他にも関わりある人の会う時には知る事の出来ぬ本音とも言える心情を見せられる様な夢もあれば、自らの想念にある、浄化すべき画像と言うものもあったりで、寝る前に今の自分にとっての懸案事項などをハイアーセルフに問い掛けておくと…
夢の中で、答えを見せられる事も何度となくあった様な気がします。
※ハイアーセルフとは、『内なる神』や神と直結する『高次の自己』とも呼ばれ、真の意味で自らをサポートする霊的存在です。
それも私の場合だと、深い睡眠の渦中と言うよりも、夜が白々と明け、一度寝ぼけ眼で目を開けた後、また寝入ってしまう直後に見る夢の中でそれを見せられる場合が多かったりもします。
私達人間は、睡眠中に見た夢も、目覚めと共に忘れてしまったり、断片的に覚えているかの様でも、違った形に変換している場合が多い事などもよく言われたりしますが、目覚める直前に見た夢は、鮮やかなインパクトとなって残っていたりするもので…
日中など、椅子で5分ほどうたた寝している様な時にそれが訪れる時もあり、目覚める直前のイメージを用いて、ハイアーセルフがメッセージを与えてくれている様に思える事も度々あったものです。
(´Q`)。oO
私が透視ヒーリングの学校に通い始めた頃と言うのは、エネルギーの浄化が本格的に始まった事もあってか、来る日も来る日も悪夢を見る日が続いた時もあり…
それは仏教の六道でも知られる地獄絵図、修羅、餓鬼、畜生と言った世界を私に相応しいヴァージョンでシンボリックに見せられている感があり、でも、どこかの部分でこれは夢であると言う事がわかっている様な時もあり、不思議な感覚があったものです。
グラウンディングした瞑想状態から、ハイアーセルフにこの悪夢の事を問い掛けると、『浄化し手放す過程が始まっているからこそ見ているイメージで心配ナシ!』と言う様な、安堵の感覚を通して答えがもたらされる時もありました。
人間の顕在意識が活発に働いている時に感じる不安や恐れと言うものは、海面に出る氷山の一角にしか過ぎないのかも知れません…。
その海面の下、潜在意識下にある見えざる恐れや狂気と言うものが、事あるごとに浮上して、望む生き方をブロックする方向に働いたり、様々な人間ドラマを繰り広げ、感情の波に呑まれてしまう大きな原因である事は間違いない様で…
意識のタガが外れる夢の中で、そうしたものに触れるかの様にイメージとして見せられる時もあれば、ハイアーセルフが意識下に固執しているもの(※例えば特定の人間との関係性等)を画像や映像として見せてくる様な場合も多い様で、私の場合だと、浄化のポイントである事を的確に指摘されている様に感じる事が多かったりもします。
勿論、分析不可能な奇妙キテレツな夢も多かったりもしますが…笑
予知夢と言うか、先々起こる事で注意を喚起する様な夢のパターンとして、私の場合、夢の中で見知らぬ女性がベターッと近寄ってきて、何らかの誘いかけをしてくると言うものがあり(笑)
登場する女性が、綺麗ながらも、目や笑みにどことなく妖気を漂わせていたりするもので、目覚めた後も余韻の残る夢である事から、それがわかってしまう様な時があったりもします(笑)
冒頭の話しに戻りますが…
本尊大元帥明王が台座を残して消えている夢など見れば、行者とすれば、不吉な災難の予兆として捉えるのが一般的かも知れませんが、目が覚めた後で、『これは寺繋がりの誰かが亡くなったかな…?』と直感に訴えてくるものがありました。
しかしながら、強いインパクトや画像を伴う夢と言うのは、目が覚めたその日一日に及ぼす影響にも強いものがあり、私の場合、夢の良し悪しに関わらず、即座にクリアリング(浄化)するのが習慣となっています。
これにより、夢の影響が出てこない場合もあるのですが、この時は案の定、数日経ってより、ある方の訃報を知らされたものです。
その方は自坊の本尊、大元帥明王の仏像の制作を引き受け、仏師と私との間を何度となく往復してくれた大阪の業者さんで、私の以前の経歴なども知ってか、本尊を私の所に納めた後も『元気でいらっしゃいますか?』とよく親切に電話をくれた方でもあったのです。
病気による突然の訃報に、体格の良い元気な方だっただけに、私も正直驚きを隠せませんでした。
(((;゚д゚)))
左右の目の大きさが違う人と言うのは、見る者に独特の印象を与える場合も多い様ですが、この方も別段、険しい目つきをしていた訳ではないものの、初対面の時より、何か目の奥に人知れず修羅や苦悶を抱えているかの様に見えたもので…
そうしたものも、まだ私自身の浄化が足りず、自らの内側にあるものを相手に投影して見ていればこそかな?などと思ったりしたものの…
この方、見た目も物腰も温和な印象の方でもありましたが、仏像や仏具、仏教関連の書籍などを扱うお仕事には似つかわしくない、剛毅な刀を斬り結ぶ様な侍の影と言うか、エネルギーを何故かお会いする度に感じる方でもあり、不思議に思った時がありました。
ある時、この方がお見えになった後の瞑想時、本当に短い時間ですが、この方の過去世とも思える姿を見せられた時がありました。
それは鮮やかな朱色の入った甲冑姿の戦国期の侍の姿が出たと思うと、廃れた山寺で暮らす僧侶の姿と言うものも出てきて、小さな仏像を熱心に彫っているその姿に、戦で人を殺した事を悔いるかの様な哀れみも感じられ、その時代に私とご縁があった事なども、そのイメージは教えてくれているかの様でもありました。
そうした事もご本人にお伝えする事もなく、月日は流れ、密教関連の書籍の取り寄せを電話でお願いした時にお話ししたのが最後となってしまいましたが
…
夢とはかくも不思議な働きをする時があるものです。
合掌