★スピリチュアルから見た優しさの循環とは?

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人間は『自らが抵抗するものになってしまう』とは皮肉な真理でもある様です。

ある本のアセンデットマスターと著者の対話から引用

※アセンデッドマスターとは、輪廻転生が必要無い程に、クリアな魂の境地に達したと言われる霊的存在の事。
キリストや仏陀などが最も知られています。

【著者】

そうだね。ぼくはときどきへまもするが、いつもかなりすばやく真実を思い出している。

平和活動家や環境保護運動家って、見ているとおもしろいんだ。
平和活動家の一部は人々を憎んでいるんだよ。
彼らは戦争に反対して抗議行動をする。それはかっこいいけど、彼らにとってほんとうに大事なのは、憎たらしい政敵やすべての人を搾取すると彼らが信じている貪欲な企業人を倒すことなんだ。

でもその企業人にしたって同じ人間だろう。
確かに彼らは金銭依存症かもしれないけど、誰だってたいていは何かに依存しているよ。
ぼくがおもしろいと思うのは、戦争に反対しながら憎い政敵のことばかり考えていたら、それはエゴを教師として行動していることになる、ってことなんだ。

だけど聖霊(ハイアーセルフ)を教師として同じ行動をとることもできるし、それはまったく違った経験になる。

※ハイアーセルフとは、『内なる神』や神と直結する『高次の自己』とも呼ばれ、真の意味で自らをサポートする霊的存在です。

その見方からすれば、政敵を倒すとか権力への怒りを表明するなんてことは重要じゃない。
愛である自分自身の表現として、もっと愛情に満ちた世界にしたいという考えから戦争に反対するんだ。

だから大事なのは何をするかではない。
どっちも街頭の抗議行動で、心のなかで何が起こっているかは誰にもわからない。自分だけが愛から起こった行動だとわかる。重要なのはかたちではなく中身なんだ。

【アセンデッドマスター】

あらら、どっちが教師だったっけ?いえ、冗談よ。

あなたの言うとおりだわ。大事なのは何をするかではない。誰とともにするか、エゴとともにか、聖霊とともにかということね。
どちらを選択するかでまったく違った経験になるわ。
行動を見ればその人がわかると思うかもしれないけど、必ずしもそうじゃない。

人によっては、世間的に霊的(スピリチュアル)とは思われない仕事を職業にしているかもしれない。
けれど聖霊の導きに従うなら、どんなことでも霊的になり得るんです。だから、ほんとうはどの仕事のほうがより霊的だということはないのよ。

ただ何をするかが重要なわけではないけれど、やはり行動は思考の結果だということは指摘しておきます。
だから人々のあり方を見ればいろんなことがわかるでしょう。
たとえばひどく怒って荒っぽい言葉を吐く人を見たら、どんなことがわかるかしら?

【著者】

そうだな。たぶん自分を憎んでいるよね。

【アセンデッドマスター】

そう。他人にどう接するかで、自分自身についてどう感じているかがかなりわかるものなんです。
他人を敵視している人は、自分のなかに葛藤を抱えている。他人を優しい目で見るのは、その人の心が平和だというしるしね。
それだけじゃなく、他人にどう接するかで自分自身をどう感じるかも決まる。

この二つは循環するの。悪循環にもなるし良い循環にもなる。確かに他人にはとても親切なのに、必ずしも自分自身には親切でない人もいるけれど、そういう人はたいてい一大転機に近づいているわね。

外に向かって愛を表現していれば、それは正しい道を歩んでいるしるしだから、ほんのちょっとの助けがあれば自分に開けている選択肢を理解できます。
そうなればきっとエゴとともにある弱さではなくて、聖霊とともにある強さを選ぶでしょう。

【著者】

ダライ・ラマからケン・ワブニクまで、偉い人は優しさの重要性を強調しているね。それがどういうことか、ようやくわかった気がする。
他人をどう見るかに自分をどう感じているかが現れるとしたら、それに将来自分をどう感じるかも決まるとしたら、人に優しくするのはほんとうは自分のためなんだ。

合掌

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