最近では、健康誌やスピリチュアルな書物によって様々な瞑想法や座禅の仕方が紹介されたりしています。
仏陀が説いた瞑想の一つに、自分の呼吸だけに意識を向けると言うシンプルなやり方があります。
目を閉じ、自分が鼻から吸う息や吐き出す息に意識を向ける事により、無我の境地とでも言うべき禅定に入るものですが…
一見簡単な事の様に思えるかも知れませんが、またこれ程難しい事もなかったりします。
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十秒二十秒と、初めの内は呼吸の音に耳を澄ますかの様に集中している事が出来ますが、一分、二分と時間の経過と共に湧き出る雑念と言うもの…
それは意味不明瞭な画像だったり、日常の出来事やそれに伴う感情が出てきたりで、いつの間にやら、そうした『物語り』に解釈を加えたり反省会を開いている自分がいたりで、マインドが顔を出してしまい、深い瞑想を体験出来る様になるまで、長い月日がかかったりもするものです。
これは瞑想や座禅に限らず、日常の全てに言える事なのかも知れません…私達は食事をしている時なども、料理の味覚よりも、その日の仕事や心配事などに心を馳せてしまいがちにもなったりします。
また、仕事をしている時なども、集中する事が出来ずに、仕事とは関係のない出来事や感情に、思考を割かれてしまう時も多かったりもします。
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人間と言う生き物は、動物としての自衛本能も持ち合わせている事からか、どうしても不安となる事や恐れに心を向けがちになる傾向がある様です。
私のヒーリングルームにセッションを受けに来て下さる方の中にも、不安や恐れの要因が多い事から自分自身をフリーズさせてしまい、あらゆる事に自分自身で決断を下せない状況を作り上げてしまっている様にお見受けする方もいたりするのですが…
その様な方に『不安や恐れがある自分に対して深刻にならず、血が通っている人間であればこそと…恐れないで下さい。』とよく話しをさせて頂く時があります。
世俗を離れ、それこそヒマラヤの麓の人里離れた僧房で、瞑想三昧の日々を送る事が出来たなら、悟りと呼ぶ安息の境地に至る事も安易なのかも知れません。
しかしながら私達は、様々な制限を伴う社会構造に身を置き、あらゆる情報や価値観が交錯する社会の中で、様々な信念体系や宗教観、異なる感情のパターンを持つ人と接して生きていかなければならず…
そうした環境下で、その大小や深浅はあっても、何らかの不安や恐れを持たぬ人など皆無なのではないしょうか?
それは、引き寄せ流行りの最近の世相を反映してか…ポジティブや積極思考ばかりを提唱するセミナーの主催者にも等同に訪れている事に違いないのです。
宇宙に人間の思考や想念を受けとり、現実化させるフィールドや知性があるのは間違いのないところですが…
時折、引き寄せの法則に関する著書等を読んでいる時など、人間誰しにもある不安や恐れを蹴飛ばしたその内容…いたずらに経済的な豊かさや指標、具現化にばかり目をそらせる向きがある事を否めないものを感じる時があったりもします。
よくあるそれらのメソッドの中に、何十と言う成りたい姿や目標や、三年先や五年先の目標、最終形の自分の姿を思い描く、アファメーションを唱えるなどありますが、その効果や如何…?
(゚ω゚?)
それも人それぞれの様な気がします。
確かに目標を持ち、自分の望む姿をイメージしたり、アファメーションする事は、宇宙の現実化のフィールドにオーダーを出す事に他なりませんが、それが真の自分から発されたものなのか?
他の人の感じるステータスや豊かさを模倣しただけのものなのか?と言う事もとても大切な事の様な気がします。
願望実現の指標に於いて、月収や年収の向上や所有する財産をそこに組み込む時、そのゴールを一体何処に置くのでしょうか?
いたずらに経済的な豊かさや数字にばかりその願望やイメージを投影して行く事は、際限のない飢えをもたらし、たとえそうしたイメージングが一時効を奏して望むものが得られたとしても、年収が500万の人であれば1000万に、1000万の人であれば3000万にと言う具合に…
上には上がある事は自明の理でもあり、次から次へと経済的にも業績の上でも向上していかなければならない都合に迫られ…
サバイバルなゼロサムゲームに身を費やすばかりの人生さえ創造しかねないのではないでしょうか?
何を持って豊かさとするのか? 人によってその尺度も違います。
私は以前、今は没落してしまった東京のある地区の大地主だった方のお話しを伺う時がありましたが、その方が言うには、どんなに広大な土地を持っていても、今の日本の税制のシステムでは、家系が三代も過ぎた頃には、その土地の殆どを国納しなければならない厳しい現実などを聞いた時があります。
自己啓発でよく引き合いに出される巨万の富を築いた世界の実業家の『その後』がある事はあまり知られていない様です。
巨大な資産を築く事の代償の様に、不治の病を持つ家族を抱えたり、度重なる事故やトラブルに遭ったりと、人が羨む豪華絢爛の裏で、巨大な精神的な負債を抱えてしまっているケースもまた多い様です。
(゜д゜三°Д°)
昨日まで通用した概念が、今日には変わる変動激しい今を生きる私達…
今年はスピリチュアルな世界ではアセンションの年と言われ、天変地異を伴う地球のエネルギーの変化、人類全体がステップアップする為に、人間の霊性に変化をもたらし、社会構造からあらゆる事に矛盾や激変を生じるゲートの開く年と言われていますが、これなども諸説色々あり、是非はともかくとしても、変化著しい国内外の情勢を見る時、符節を合わせた様な事象の数々があるのは否めないところでもあります。
通貨の在り方や豊かさの指標と言うものも、近い将来大きく変わる可能性さえある国内外の情勢でもあり、そんな中で、いたずらに収入や数字、財産の所有を目標とする事に、多くの人がその深いところで違和感を持ち始めているのではないでしょうか?
人の望む豊かさ
の鋳型と言うものが、必ずしも自分の望む豊かさと合致するものではない事、忘れたくないものです。
対象にばかり心奪われる時、自分の本来持つ美しさや力強さから乖離してしまう事も…引き寄せ流行りの現代の風潮の落とし穴としてある様な気もします。
かたや欠乏感や貧困の恐れを持ちながら、経済的な向上を目標としてビジュアライズしても、足を引っ張るかの様にそうした願望は中和されてしまうのではないでしょうか?
人間には『思考を支える思考』がある事を知り、自分に不安や恐れがある事から目を背けず、その元となるものが何であるかを見る作業がとても大切な時があります。
そうした、自分の感情を伴うメンタルイメージを、自分に適したやり方でクリアリング(浄化)して行く事が願望実現の近道の様な気さえします。
自らの思考や感情、過去の記憶を浄化するツールが、今拡がりを見せているのは、そうした事により、自らのエネルギーがクリアになり、直感力が高まり自分に必要な情報にアクセスしやすくなる事に多くの人が気付き始めているからではないでしょうか?
冒頭の話しに戻りますが、食事をしている時にマインドを遮断し、舌先に意識を置き味覚を感じて見る…これも日常の中で目を開けながらにして出来る瞑想でもあります。
マインドの手強い抵抗に遭うのは必至かも知れませんが…笑
こうした日常のひとつ一つの積み重ねが、今この瞬間にある豊かさや自分に必要な答えに巡りあう秘訣なのかも知れませんね。
合掌