自分がどうしても好きになれない時…
私達人間はその好きになれないと思う部分を周りの人々や出来事に投影してしまい
固く閉ざしてしまう時があります。
親しい人が賞賛を浴びたり成功を収める様子に心から拍手を送れない時…
人はそれを嫉妬や妬みと呼ぶのかも知れません…
『なんでアイツが!』
(`Д´))
『なんであの人だけが…』
(=_=;))
と言った具合に感じる心の疼きや葛藤と言うもの…本当は自分の深いところからやって来る偉大なサインなのかも知れません。
それは自分らしく生きる事の素晴らしさを知り、何処かの部分で共感していればこその嫉妬なのかも知れません…。
例えば、会社の同期組の仲間が昇進するのを見て、後塵を拝している様な気持ちや葛藤を感じる時…
思い出すべき何かがあるのかも知れません。
NO,1のポストや生き方が似合うエネルギーの人もいれば、縁の下の力持ちの様にトップを支える部署で力量を発揮する人もいます。
また、さらに部署やパートは下でも小気味良い班長の様な役割にその真骨頂を見せる『燻し銀』の様な人もいるものです。
会社の肩書が上がれば給与に反映されたりで、誰しもここを短絡的に考えてしまいがちなところでもあります。
人のモデルケースや概念に自分を準じさせ様とする生き方は、本来の自分の生き方のラインから自分を遠ざけてしまう時があります。
またこうした生き方は、エネルギーレベルで身体が悲鳴をあげ、病気にも罹りやすくなったりするものです。
何が幸いするかはわからないもの…
今置かれた場所で咲く努力は必要なれど…人の考えるステータスや豊かさとそれは必ずしも同じではない事、忘れたくないものです。
自分を見失いそうになる時…鏡で自分の両の瞳を見つめてみると良いかも知れません。
5秒、10秒、20秒と自分の思うだけ見つめてみたら目を閉じて、ハートの感覚に注意を向けて見る…
朝起きた時、夜休む前にこれをするだけでも、胸骨の辺り(ハートチャクラ)に暖かい感覚を感じる時があります。
覗き込む瞳からは、社会的立場や制限から離れた肉体の奥にある自分と言う魂の存在を感じる瞬間が訪れるかも知れません。
それは足すところも引くところもない、愛そのものである自分の姿なのかも知れません。
ただ…そこに天使の羽まで見えるかはわかりませんが…笑
(^^ゞ
合掌