★人生交差点…憲法改正に思う事

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※社会通念上不適切な表現や描写がある事をお許し頂きたいと思います。

十代の頃は任侠系右翼団体の構成員でもあった私は、街宣車に乗り『親愛なる東京都民の皆さん、我々は亡国占領憲法破棄、自主独立憲法の制定を訴えております政治結社〇〇〇街頭遊説隊であります。』とマイクを握り、時には街宣車の上に立ち、アジ演説をした時があります。

何十台にも及ぶ濃紺や黒など、国防色の街宣車が、スピーカーから大音量で鳴る軍歌や、たなびく日章旗や旭日旗と共に、時には信号無視でパレードする様は、中学を出て間もない私には壮観に見え、パワーを感じさせるものでもありました。

マイクを握り演説する弁士は右翼の世界では花形と言われたものです。

右翼団体と言えども、現役の極道や元極道といったコワモテの人間も多かったものですが、そうした人間には、一様に右翼の主義主張を人前で話す事など思いもよらないテレ屋なタイプも多く、自然と、民族運動家として演説慣れした運動歴の長い人間がマイクを握り弁士を担ったものでした。

私は当時16才でしたが、街頭や駅頭での演説も好むところがあり、演説用の原稿など見ずともスラスラと言葉がアドリブで出てきたりもし、親子ほど違う年長の方達に負けていないものがあったりで、『ちょっとは遠慮してくれや…。』とばかりにその道の大人達に煙たがられた時があったものです(笑)

当時は音量規制などはあったものの、今ほど道交法規制も厳しくはなく、暴走族あがりの金髪パーマの少女達が戦闘服に身を包み、これまた暴走族のOB連の様な若者と共に、パレードする街宣車の上に自己をアピールするかの様に立っていた時代でもありました。

共産党や社会党の本部、日教組会館、六本木のソ連大使館などに何十台と言う街宣車が、それらの施設が近くなる時、示し合わせたかの様に一斉に軍艦マーチをボリュームいっぱいに鳴らし…

『暴力革命をたくらむ日本共産党は即刻日本から出て行け~!!』

『売国奴日本社会党は即刻解散しろ~!!』

『日本を背負って立つ少年少女を、赤い思想でチクリチクリと洗脳する日教組はすみやかに日本から出て行け~!!』

『泥棒国家ソ連(現ロシア)の大使館は日本には必要ない!即刻出ていけ~!!』と、最後は各車両一斉に『出てけ~!粉砕!出てけ~!粉砕!』とシュプレヒコールを繰り返す時、その音は幾重にもビル街に反響し、側を歩く人の中には、その音量に耐え切れぬかの様に、耳を塞ぎ駆け去って行く人の姿もあったものです。

学校では落ちこぼれだった少年少女ではあっても、北方領土返還、国防体制の確立と言う様な、右翼団体の掲げるスローガンに、まるで高邁な事に加担している様な高揚感やヒロイズムさえそこに感じていたに違いありません。

話しは変わって…

今朝の新聞に、自民党が憲法9条を変更して自衛隊を『国防軍』に改編する事を掲げた事や、国防軍創設に伴い『審判所』と言う、現憲法では禁じられている軍法会議の設置までを盛り込み、軍規に違反した人間に対する最高の刑罰として『死刑』や『懲役300年』に処す考えなどを、自民党石破幹事長がTV番組で話した事などが取り上げられていました。

原発の最稼動と、この憲法改正から国防軍の創設に至るまで、安倍政権発足当初より色濃く打ち出されている事でもありますが、安倍首相にしても石破幹事長にしても、戦争を知らない世代と言う事に関しては、私達と変わらぬものがあるはずです。

この記事冒頭の文章にあった様に、占領憲法の破棄、自主憲法の制定と言う事を街宣車で訴えた事もある私ですが、その当時、改憲を訴える民族派と呼ばれた右翼の人の中には『本当の事を言えば、9条を始めとする国の柱を(憲法の事)政治家にいじらせてしまえば、一気に戦前の様に軍国主義に戻ってしまう可能性がある。』と危ぶむ声もあったものです。

現行日本国憲法は、終戦時に、占領軍GHQによって短い期間に草案作成され、施行されたものでもあり、右翼をしている頃などは、天皇を象徴化し、家族制度を弱体化させ、日本を骨抜きにする為の亡国憲法との認識もあったものでしたが…
それも右翼だった私から見た一つの世界観に過ぎなかったに違いないのです。

確かに、当時憲法を作成した占領軍とすれば、二度と日本が軍事国家として台頭出来ぬ様に意図されたものはあったのかも知れませんが、戦争放棄をうたい、戦力不保持を記す9条が、戦中から戦後にかけて塗炭の苦しみを経験してきた、戦争に大きなトラウマを持つ世代の方達に合致するものがあった事は、世界に冠する高度成長さえ果たしたその後の日本の歩みに明らかなものがあります。

私は右翼から極道の世界へと入って行きましたが、自分で組を構える様になると、選管(選挙管理委員会)に政治結社の届け出をして、右翼団体も作ったものでした。
十代の頃は右翼の思想や主義主張に純粋なところもあり、反共と呼ばれる右翼の思想一つとってみても、共産党の街宣車と鉢合わせれば軍歌をボリュームいっぱいにかけ、罵詈雑言を浴びせて追い回したりもしたものでしたが、極道の世界に入り、自ら右翼団体を持つ頃には清濁合わせ呑む感覚も身につき、

60年代や70年代の安保闘争に見られる様な暴力革命を目論む共産党の力が無い事は歴然であり、むしろ狸の多い自民党の絶対多数の政策に異議を唱え、反対を唱える政党として稀少な価値さえあるではないかと思う様にさえなっていたものでした(笑)

ただその頃の私には、日本も対米依存から離れる上で抑止力としての核を持ち、武装を強化すべきとの考えもありました。
それは綺麗ごとではなく、言葉だけの平和主義では平和は成し得ず、実行力を持った武力こそが平和をもたらす上で必要不可欠だと言う思いがあったものですが、これなども私の当時の世界観を投影した物の見方でもあったのです。

でも、スピリチュアルな道を歩み始めてからは気付きが多くなり、こうした事に対する考え方も大きく変わってしまいました。

私は極道当時などよく思ったものです。

『日本なんて国は、所詮アメリカの企業舎弟じゃねえか!』と…笑

アメリカの利益に叶う事をすれば、その時は最高の友人
と評されて、つかの間の世界の『一軍入り』を認められても、ちょっとアメリカに異議を唱えたり、他国でアメリカの国益に沿わぬ事を日本がすれば、たちどころに意地悪される事この上なく、アメリカの日本に対するアメとムチの使い分けは、今ここで書くまでもなく多くの方が感じておられる事でもあると思います。笑

極道当時の物言いで言わせて頂くなら、とどのつまりアメリカは日本に対する時『てめえ誰のおかげで安心してメシが食べていられると思っていやがるんだ!商売で儲けたなら、ちょっとは銭を持って来いや!』と言わんばかりの、アナログで威圧的な権勢欲がそのベースにあると言ったら過言でしょうか?

そうしたものでも、個人間とは違い、国家としての交流の在り方などがスマートで複雑なものに目隠しされているだけで、その根にあるものはシンプルなものに違いありません。

私はここでいたずらに世界に敷かれていると言われる闇権力の利権構造など書くつもりはありませんが、原発の再稼動も、憲法の改正による国防軍の創設も、究極どこの大国がニンマリと微笑む事なのか?その利権構造を手繰って行く時、明らかなものがあるはずです。

黒船来航以来の日本とアメリカのカルマの蓄積には膨大なものがある様な気がしてなりません。

アベノミスクと一時的な好景気を評価する声もある現在の安倍政権ですが、原発の再稼動から憲法を改正し、国防軍までを立ち上げる大鉈を振るう意図があるとしたら、国民を景気の活性化で眩惑させた上で、仕事をしやすくする深謀遠慮がそこにあったとしても何ら不思議ではありません。

今の日本は第二次世界大戦前の日本の状況に酷似していると指摘する識者の方達もいたりします。
武装化する為にはどの様なへ理屈を付けるのも政治の内なのかも知れません…。

でも、今や多くの人が、メディアの発達もそこに影響を及ぼしているのでしょうが、国策の裏にあるものや、政治的な信条やスローガンの虚を見抜く感性を持ち、ハッキリNO!と言える方が激増しているところに救いがある様な気がします。

日本の政治姿勢は周辺諸国に対しても、時に歯痒く弱腰外交をさらけ出している様で、そんな事ならいっそ軍事力を強化して強気で物が言える国家に成った方が良いのではと思う人も多いのかも知れません。

しかしながら、そこにどんな国家としての、高邁な政治的信念や信条があろうとも、武装化を進めるとは、報復される恐れがあるから武器を手放す事が出来ない事の裏返しであると言うのが、個人においても、国家においても、真実である事忘れたくないものです。

こうした適者生存、簡単に言えば弱肉強食の法則こそが、今時流行りの引き寄せの法則を凌駕せんばかりにこの地球を貫く法則であるかの様にさえ思えたりもする国内外の状況でもありますが…

そんな中でも日本は、過去に二度に渡る原子爆弾による被害を受けた世界唯一の被爆国でもあり、現在も追われる福島原発への対応など、軍縮や核の廃絶に世界を最もモティベートする事の出来る国であるに違いないのです。

しかしながら喉元過ぎればなんとやらで、原発の再稼動から、国防軍を作る為に憲法まで改正し様とする政府のここ最近の動きと言うものは、本来の日本の歩みに逆行するものがある様に思えてなりません。

国防軍が出来た時には審問所なる軍事法廷まで設ける計画まで自民党にはある様ですが、国防軍が出来ればそこに付設されるものは審問所だけでは済まず、戦前、戦中の特高警察や憲兵の様な、政府の法案に反対する文化人を弾圧してきた暴力装置さえも生み出す可能性を孕んでいる事でもあります。

政治の怖いところは、こうした国民の命に関わる重大な事ほど、僅か数名の机上のシュミレートで決定して行く事でもあります。

昨日まで共にいた愛する人が今日には忽然と姿を消す無機質の狂気と言うものが戦争の本質に違いありません。

強い日本を取り戻すとはいかにもな標語ではありますが、神国日本と、強い国を信じたばかりに、愛する家族を失い、身も引き裂かれんばかりの悲しみを体験してきた私達の先達でもあります。
その悲しみをリアルに知る世代はもう日本の政治の世界にはいません。

震災時に暴動の一つさえ起きる事なく、受容し、淡々と被災地での救援活動に立ち上がった日本人の姿がメディアで報じられた時、世界の多くの人々がその日本人の姿に感嘆したと言います。

弱腰で受け身とも思える近隣諸国との外交の姿かも知れませんが、日本外交の真骨頂とは、誤解があっても衝突があっても、真摯に何度となく平和を基に粘り強く話し合うその姿勢にある様な気がしてなりません。

国政とは防衛一つとってみても、用心やあらゆる対策を事前に講じておくべきで、単純なものではないと考えるのが一般的なのかも知れませんが、
戦争を前提として国防軍が作られるとすれば、戦争や地域紛争などの事象を日本が招きやすくしてしまう可能性がある事は、意図された事が結果をもたらす引き寄せの法則で充分に説明出来る事でもあるのではないでしょうか?

『戦地へは総理からどうぞ!』とは素晴らしい標語でもあります。

合掌

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