★パラオの方の記事を読んで…靖国神社①

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※靖国神社です。

領土問題など、自虐史観を煽り立てるかの様な最近の報道でもあります。

私は中学生の頃、神風特攻隊の事や靖国神社の事を作文に書いた事がありました。

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するとそれをチェックした先生の『戦争は二度としてはならない事であり、特攻隊は美化出来ず、賛美出来ない事です。』と言う赤字で記された感想と共にその作文は返ってきました。

その後…中学校を卒業してすぐに右翼団体に入ってしまった私ですが(笑)

この時も『先生!特攻隊で死んだ人や戦争で亡くなった人は犬死にだと言いたいんですか!?』と反発したものです。

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思慮の足りない私の言葉だったには違いありませんが、この時この先生は黙り込み答えてくれなかったものです。
(-.-;))

当時、戦場で亡くなった方の心中いかばかりか…大東亜戦争を批判する時、戦前、戦中の洗脳教育の賜物かの様に批難する人も多く、それは左傾化した文化人や教育者達によって喧伝され、今やすっかり自虐史観となり私達に根付き定着してしまった事でもあります。

私は当時の教育を賞賛するつもりはありません…しかしその戦争の愚かさと言うもの、昭和天皇はもとより、当時の高級将校なども開戦直前まで反対し、逡巡するものがあった事は、様々な史実がその当時の人間模様と共に映画化されたりで、多くの人の知るところでもあります。

でも、これは御前会議の様な戦火の及ばぬ卓上だけの話しだったのでしょうか?

南海の孤島や酷寒の戦場で亡くなられた方にも、片道の燃料を積んで敵艦船に体当たりし亡くなった人間魚雷や神風特攻隊の方の胸の中にも、等しく戦争の愚かさや恐ろしさは胸に染み渡っていたに違いありません。

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私はだいぶ前に特攻隊基地の通信員をされていた方の手記を目にした時がありましたが、そこには特攻隊員が敵艦に突入する直前に無線を通して途切れ途切れに聞こえてくる断末魔の叫びと言うものが、戦記映画にありがちな『天皇陛下万歳!』ではなく、『おかあ~さ~ん!』『おかあ~ちゃ~ん!』と母の名を呼ぶ声が圧倒的に多かったと書いてありました。

また、当時神風特攻隊の基地で修理兵として働いていた方のお話しをリアルに聞いた時もありますが、自分より年下のまだほっぺの赤い少年航空兵が、笑顔で特攻機に乗り込む姿を見送る時…その少年達に後光が射している様に見え、涙が溢れ言葉をかける事さえ出来なかったと言います。

国家の為に散った私達の先達…でも、その死を目前にした時、胸に去来するものはなんだったのでしょうか?

今とは全く違う当時の時代背景…若い男女が手を握るのも人目を憚るそんな時代…命尽きる前に、父や母や兄妹の姿、山や川のせせらぎ、故郷や学校で遊んだ幼き日の友達や自分の姿…祭りの風景や太鼓の音、お互い好きでいながら、時代から手を握る事もかなわなかっ恋人の姿…

そんな自分の心の故郷を思い起こすのではないのでしょうか?

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そしてそんな心の故郷に一歩たりとも敵を踏み入れさせたくない、蹂躙させたくない、ただその一念があっただけなのではないでしょうか?

そこにはイデオロギーも洗脳もありません…ただ、人間の死を目前にした純粋な想いがあるばかりです。

戦艦や空母の艦長として敵から攻撃されまさに沈没し様とする時、離脱を迫る将校達に『この戦争は日本は負けるだろう…だが君達は若い、君達はなんとしても生き残って日本を建て直してくれ…』とそれを断り、皆を退避させ、艦橋室のポールに自らを巻き付け沈没する艦と命を共にした何人もの将校がいた事…

こうした事は歴史の裏側に隠れ、私達があまり知り得ない事でもあります。

こうした先達が散った暁には『靖国で会おう!』と合言葉の様に再会を誓った靖国神社…

こうした尊い犠牲を払った英霊の眠る神社に参拝するが良いか悪いか?などと…時には何処かの国の顔色を伺い、物議を醸すのを恐れ、一国の首相が躊躇するその風見鶏の様な姿…

世界広しと言えども日本だけであります。

スピリチュアルな内容とはほと遠い内容かも知れませんが、思うままに書いてみました。

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合掌

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