※写真は文中とは関係ありません。
私が小学校5年生の頃…当時は学年で行く遠足などに、大きなリュックサックやナップサックを持って行くのが子供達の間で自慢の種だったものでした。
私なども、低学年の頃から使い慣れた小さめのリュックを母が買い換えてくれたものです。
遠足当日、気分も新たに青い色をしたリュックを背負い登校すると…同じクラスの友達から『何だよ!お前のリュックサック小せえじゃん!家が貧乏で大きいのが買えないんじゃねえの…ククク』と心ない一言を浴びせられたものです。
(=_=;)(^皿^)
相手は、中学生の兄がいる事を背景に学年を牛耳る生徒のサブ的な存在の子供でもありました。
私とこの子供がことさら仲が悪かったわけではありませんが…ちょうど担任の先生による遠足の注意事項の伝達が終わり、廊下に並ぶ間際の事でもあり、子供ながらにも殴りかかり、髪の毛を掴み引きずり回したい衝動を感じたのを今でも覚えています。
当時、メリヤスの下着をミシンで縫う内職をして家計を支えていた母が買ってくれたリュックサックでもありました…この同じクラスの子供にそのリュックを揶揄され馬鹿にされた事は、自分自身ばかりか、母親までも否定され汚された様に感じたものです。
こうしたところにも、大人に成るに連れて忘れ行く『子供の世界』と言うものがあると思います。
その遠足が終わり少し経った頃…遠足時の写真が配られたのですが、そこには私のリュックを馬鹿にした子供と私が共に写る写真がありましたが、家に持ち帰り、その写真を見るなり…私はまるで呪う様な気持ちでその写真を破り棄てたのでした。
それから数日後…理科の時間にアルコールランプを使う何かの実験の授業をしていた時の事…私の向かいに件の子供が座っていたのですが、何かの拍子にアルコールランプが倒れ、倒れたランプからアルコールが漏れ、すでに点火されていた火がアルコールに引火し走り…
(((;゚д゚)))
その子供の顔を焼いたのでした…。
火傷は深刻なものではなかった様ですが、それでも顔が軽度の火傷でもまっ赤になり、結果として顔の皮が一枚めくれるものとなったのです…この時私は子供でもあり、スピリチュアルな素養などあろうはずもありませんが、心の中で、自分がそれこそ念を込めるかの様に写真を破いた事がこうした事に因果している様な怖さを感じたものです。
( ̄▽ ̄;)
それは今思えば『人を呪う事なかれ』とその愚かさを…見えざる存在が子供の私に教えてくれていたのかも知れません。
これは別段陰湿なイジメとはケースの違う話しではありますが、持ち物ひとつからでも親の知らぬところで友達よりイジメを受け、親に話す事が出来ずに傷ついている親の知らぬ子供の世界や姿があったりするものです。
こうした些細な事からでも、イジメの間口は広がりエスカレートしていくもの…私も現在ではセッションを通して、お母様達より子供のイジメの相談を受ける事が多くなりましたが…
ケンカとイジメの違いが分からぬ親御さんも多く…また両親共働きで、子供と共にいる時間が少なかったりで、素の子供の状態を把握していない事から、イジメを受けている時に子供が発する微細なサインや兆候などに気付き様もなく、子供がイジメに合っている事を話そうとしても…
『アンタさあ…お母さん疲れているのわかってるんでしょうそんな話しは後にしてよ!』とはねつけてしまう傾向がそこにあったりもします。
この時点で、子供は二度と親に話す気力が失せてしまうに違いありません…
(-.-;)
また優しい愛情溢れる親御さんの場合でも、子供がイジメの状況を話すには頼りないものを感じたり、親を驚かせ、落胆させたくないばかりに…その実態を話せず、自分の殻の中に閉じこもるケースもある様です。
子供にとって、親に自分が受けているイジメの実態を話す事は、乾坤一擲の勇気の要る事でもあります…何故なら、親によっては学校に乗り込み、担任の先生や学校にそのイジメの状況を話す事になり、結果としてイジメている側の子供の耳にもそれは入る為…
『お前、よくも先生や親にチクッタな…』とそのイジメにかえって拍車がかかる恐れが、イジメられている子供の中にはしっかり鮮明な画像として居座っている場合がその殆どだからです。
また学校や担任の先生への無力感と言う事もイジメられる側の子供の中にはあり、ある面では親以上に、体裁第一の学校やサラリーマンと化した先生をしっかり見抜いているのも子供達でもあります。
また逆を言えば、イジメる側の子供も、案にこうした事を熟知した上で、『酷くイジメられたくなければ、学校や親にも言わず、ひたすら耐えろ!』とばかりの不条理さで、そのイジメをエスカレートさせて行くのではないでしょうか。
日頃…『あんた誰のおかげでこんなに大きくなれたの!』
(ノ゚O゚)ノ
『お前は…あたしがお腹を痛めて産んだ子供なのよ!わかっているの!』などと…自分の子供にまくし立てている割には、子供の目を覗き込んでも、日頃とは違う子供の様子を見ても、その異変に気付かぬと言うのは寂しい限りでもあります。
イジメの兆候は、無言の子供の姿にも現れています…目や表情、言葉、持ち物や服装、洗濯物、食欲の変化…etc
『私は心理カウンセラーでもあるまいし、そんな事わかりません。』と言う意見があるとしたら…親子の繋がりとは一体何なのでしょうか?
子供がやましい事をしでかした時…白状せずとも、子供の目を見ただけで『あんたって子は!』とビシャリと平手打ちをくらわしその真実を話させる親の姿…今では流行らぬ昭和の映画やドラマの中だけの話しなのでしょうか?
体罰を奨励するわけではありませんが、こうした事も、親が瞬時に子供のエネルギーを読み取っているから出来る事でもあるのです。
それは
ヒーラーや霊能力者のみが持つ能力ではなく、人間誰しにも本来備わっている能力でもあります。
それは親子の繋がりや絆に比例しているのかも知れません…親子の間で、お互いの身体の危険や危篤の状況などを直感レベルで知らせる『虫の知らせ』なども、親子のエネルギーの関わりが深い事を示す事象でもあります。
また、子供は学校で他の子供より見えない場所を殴られたり、傷つけられたりした場合、実際は衣服の下でそうした傷やアザが見えないにも関わらず、家に帰ってきた時など、親に悟られたくない本能が働く為か、親との身体の距離を開こうとするボディランゲージにも変化が出たりもする様です。
※イジメの傾向の進んだ子供は、露見しやすい顔など目につく場所を避け、衣服や肌着の下に隠れる部分を痛めつける傾向もあったりします。
我が子が受けたイジメにおいて、初めに子供と相対し、どんなに目を背けたくなる様な実態を子供から聞かされても、その話しを聞くべき適役は、母親に違いありません。
こうした時…男の子、女の子、共に心を開き話しやすいのはやはり母親の様です…母性の成せる業でもあります。
男親で育った子供は、イジメに遭っても親に話そうとしない傾向もあったりで、こうした子供の頃に浴びせられたイジメによる不当化のエネルギーを卑屈なバネに変え、後に不良の道へ行ってしまう事もある様です。
自分の子供がイジメに遭っている事が認められた時…親とすれば世間体もあり、また子供の教育上の事もあったりで、学校に登校させたまま、解決を図りたいと思うのも一般的な親の心情でもありますが…
すでに子供に取って地獄と化している学校でもあり…『学校になど行かなくてもいいよ!』と親御さんが言ってあげる勇気が、どれほど子供に安堵をもたらすかわかりません。
子供は通学が習慣になっている事から『いいよ!母さん!勉強遅れちゃうから行くよ!』と言うかも知れません…
ですが『勉強が大切なのか?』『子供が大切なのか?』親として肝の据え所でもあります。
ゆっくり時間をかけて子供の話しを聞き、子供の意思も尊重した上での学校との話し合い、埒が明かなければ警察を介入させる事へも発展して行くのでしょうが…
学校やイジメる側の子供の親との話し合いや対警察の話しでも、親御さんが、子供が今通学している学校に固執するものがあると、それが話しの弱さとなってしまい、未消化な学校の懐柔策に押し切られ、またイジメを再燃させる結果になってしまう事もある様で…
夫婦や子供も交えてよく話し、最悪は転校やフリースクールで在宅で学習する事も視野に入れ、親が腹をしっかり据える事が、毅然とした話しや展開を生み出す上でも大切なのではないでしょうか?
思いつくままに書いてみました。
合掌
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