今日は節分…毘沙門天ご縁日

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今日は節分…ご近所からはお父さんの

『鬼は~そと~!』

『福は~うち~!』の元気な掛け声と共に『わあ~逃げろ~!走る人』と子供のはしゃぎ回る声なども聞こえ、下町の風情を感じさせます。

節分の今日3日は毘沙門天のご縁日でもあり、明日の広島行きを前に、氏神様や鎮守様にもご挨拶を済ませてまいりました。

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※尾久八幡神社

節分祭でもあり、どちらの神社にも近所の子供達が集まり始めていました。

鬼とは自らの内に棲むもの…しかしながら、自らの同意出来る事だけが正しく美しいと観じている内は…

自らの人生の中に時折顔を出す鬼の顔…自らの心の声にさえ、どっかから引っ張り出してきた様な理屈や道理で蓋をして、市井に生きる私達人間は業の深い生き物なのかも知れません…。

それは他の誰の言葉でもなく、自らの心の声と言うもの…それを無下にし、聞こえぬふりをする時に、身体が悲鳴をあげ、『病鬼』と言う鬼を自ら招く事もあるのではないでしょうか…。

寂しがりやで妬心激しい誰の中にも多かれ少なかれいる鬼の姿…

他者から見せられている様で、その実自分の中にもある鬼の姿…自らにあるものを他者に投影し見せられている事…

思い出すべき何かがある事…慢性化したそれが会社の人間関係であろうと家族の間柄であろうと…

人と人との刹那の出会いに於いて、何ひとつ無駄は無いに違いありません。

自らの感情を逆なでる忌まわしい人間さえも、完璧な出会いを果たしている人間に違いなく、その人間との関係が終焉した時に…

何かを手放し、癒され再創造する上での完璧な出会いだった事…

名トレーナーだった事…

それはするめを噛むかの様に、たとえ嵐の様な人間関係の破綻を経験しても、心の傷が癒された時に、自らに訪れる感慨なのかも知れません…。

私が獄中で読んだ『神との対話』と言う本の中に…

この地球に『天使しか送らなかったよ…』(私達人間を指して)と言う一節がありました。

過去には口八丁手八丁で生きた私ですが(笑)たとえそれが荒削りで今は輝いていなくとも、自らの中にも出会う人達の中にも、時にはユニークで無邪気な光り輝く天使性がある事…仏性がある事…

忘れたくないと思っています。

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※夕方の隅田川

さて!明日からは広島へ出張ですので、愛犬チビわんわん温泉風呂に入れ、ご機嫌を取ろうかと目論む愚僧であります(笑)
(^_-)-☆南無!南無!

合掌

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